角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(35) 私はただしい?
photo・T.Tetsuyaどちらが間違っているか、という問題になったとき、たいていの場合、私が間違っている。もうずっと長いあいだ、そうなのだ。
たとえば旅先で迷ったとする。同行者はこっちの道だと言い、私はあっちの道だと言う。そういう場合、ぜったい同行者がただしい。
「市井」を私はずっと「いちい」と読んでいて、友人にそれは「しせい」だよ、と指摘されても、いや、本当は「いちい」なんじゃないかと思っていたが、もちろん私が間違っている。
子どものころから、こんなふうに、ずっと自分が間違っていることの連続なので、そもそも自分にたいして疑いがある。自分の意見をあまり強く主張すると、時間のロスになったり、恥ずかしい思いをしたりする、つまりいいことがひとつもない、と刷りこまれているのである。
しかしながら、無意識下では、自分のほうがただしいのではないかと、いまだにどこかで思っているらしい。つい先だっても、同じようなことがあった。
マラソン大会に出るために、遠方のホテルに夫婦で泊まった。部屋に着き、まずWi-Fiをつなごうとした。スマートフォンの設定画面で、説明書きに書かれているWi-Fiのパスワードを入れても、エラーが出る。何度やってもエラーが出る。夫が何かの用でフロントにいくと言うので、「パスワードが間違っているみたいですよって伝えてくれる?」と私はごくしぜんに言っている。「え、間違ってるかな?」と夫は自分のスマートフォンでパスワードを入力し、「つながったよ」と言う。
パスワードを押し間違えているのかもしれないと思い、夫に入力してもらうも、やっぱりつながらない。なんだかわからないけれど、もういいや、、Wi-Fi使わなくたっていいや、とやけ気味に思い、はたと、つい最近、スマートフォンにセキュリティ関係のアプリを入れたと気づいた。それを解除してみると、Wi-Fiはつながるではないか。
そして私は猛省する。いついかなるときも、というのは言いすぎにしても、たいていの場合は、私の側に非があるというのに、それをもう五十年以上繰り返しているというのに、なぜ今なお、「パスワードが間違っている」という考えが出てくるのだろう。
たぶん、夫だとか、したしい友人などは、こういう私の思考回路に慣れていて、「またへんなこと言っているなあ」と思いつつ、あまり傷つけないように、正解を示唆してくれているのだろう。
ずっとただしい側の人たちは、どんな気持ちで生きているのだろうと思いを馳せる。いつも自分がただしいわけだから、自分には疑いを持ったりしないんだろうか。こっちの道かあっちの道か、誤字なのか自分の読み違えなのか、ちらりとも迷うことなく自分の意見を言えるのだろうか。もしそういう人が、自分が間違いだったと気づいたときにはどうするのだろう。いや、そもそも、気づくのだろうか……と考えていたらなんだかこわくなってきて、まあ、私は間違える側でラッキーだったのかもしれないな、とめずらしく前向きに考えた。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『ゆうべの食卓』(新潮社)。
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