街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(15) 「あたらしい町の旅」

URPRESS 2021 vol.64 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


イメージ写真photo・T.Tetsuya

私が生まれ育ったのは横浜市の隅っこだが、二十歳のときに都内に引っ越して、今は実家もないので、横浜方面にいくことはめったにない。ごくまれに、仕事があって横浜に赴くが、そのたびに町は変わり続けている。横浜駅周辺も、観光スポットでもある関内地区も。

先だっても、仕事があって関内方面にいった。早めに着いたので、散歩がてら町を歩いてみたが、変わりすぎていて、まるではじめて訪れる旅先の町みたいだ。歩いていると開港記念会館、神奈川県庁、横浜税関とようやく見知ったビルがあらわれて、ジャック、キング、クイーンだとそれぞれ建物のあだ名が浮かぶ。

けれどもそんなふうに見知った光景のほうが少なくて、やっぱり全体的には知らない町だ。おしゃれなカフェやレストランや雑貨屋が並び、紅葉しはじめた街路樹の下を歩いていくと海に出る。歩道にある道案内の看板を見ると、看板のなかには見知った単語がたくさんある。中華街、横浜スタジアム、マリンタワー、文化会館。知ってる知ってる、と思うが、でもその地点からどちらにいけばその「知ってる場所」があるのかも、わからない。なつかしさは看板の文字にしか、感じない。やっぱりここはもう、私には未知の町、旅先だ。

私は今住んでいる町に引っ越して二十七年になる。町内で引っ越しをくり返し、三年ほど隣の町に住んだこともあるが、実家にいたときより長い年数、暮らしていることになる。もちろん町の光景は変わり続けているけれど、ちいさな町だから、おおきな変化はない。タワーマンションができたり巨大施設ができたりすることはない。せいぜい、昔ながらのお店がなくなってビルになったり、銭湯がなくなったり、飲食店の入れ替えがあったり、そのくらいだ。昔ながらの商店街も飲み屋街も健在だ。

でもそれは、ずっと暮らしているから「変わらない」と思っているだけなのだろうかと、横浜から帰ってきてふと思う。鏡を毎日見ていると、自分が老けたことにも、太ったり痩せたりしたことにも、気づかない。しょっちゅう会う友だちも然り。二十年ぶり、三十年ぶりに会う友だちの場合は、その変貌ぶりに驚いて、「もしや私もこのくらい老けたのか」と、その様子にあらためて自分を映し見たりする。

そんなふうに、私にとってまったく未知になった横浜の町も、ずっと暮らし続けていたら、あんまり変わっていないように思えるのだろうか。

ともあれ、思うままに旅のできない今、見知っているはずの町が、まったくの未知の場所に思えるのは、ちょっとわくわくすることでもあった。たった数十分の散歩であっても。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『銀の夜』(光文社)。

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