角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(22) 「『ご自由に』箱の物語」
パンデミックによる緊急事態宣言が発令されたとき、じつに多くの人が家のなかを片づけはじめたと、ニュースで見聞きした記憶がある。不要なものを捨てる人も多く、一時期、粗大ゴミと一般ゴミが増加したとも聞いた。
そのころ、近所を歩いてると、今までは見かけなかった光景をよく目にするようになった。ごくふつうの一軒家の前に、「ご自由にお持ちください」という貼り紙とともに、段ボールの箱に入ったさまざまな品物が置かれている。それまで、閉店する飲食店前などでは見たことはあったが、一般家庭が「ご自由にお持ちください」と品物を並べるのははじめて見た。
流行なのか、それはどんどん増えていって、自宅から仕事場まで歩く十五分ほどの道のりに、四軒ほど見かけたこともある。とくにほしいものはないのだけれど、つい、箱のなかの品物を見てしまう。食器類がもっとも多い。ちょっと凝った置き時計や人形が置いてあることもある。新品らしき箱入りの玩具があることもある。本は系統がある。自己啓発本が多かったり、理系の読みものに偏っていたりして、持ち主の趣味がうかがえる。
そのおうちから、それらのものが選ばれたことにとても興味がある。その箱に入ったものたちは、ただの不要物ではない。捨てることができないが、フリマサイトで売るほどのものでもない、でも、できればだれかに使ってもらいたいものたちなのだ。そのことに私はなんだか少しばかり感動し、写真を撮っておくべきじゃないかと真剣に考えた。使わないけれど不要ではないものたちとして、各家庭の「ご自由にお持ちください」仲間を写真にしてまとめて、のちに見返してみたら、何か見えてくる物語があるのではないかと思ったのだ。
置かれているものたちは、たいていがふつうのもので、アッと驚くようなものーーたとえばチャンピオンベルトとか鎧一式とかーーは見たことがない。家にはあるがもらい手がなさそうだから出さないのか、それとも、多くの人がわりとふつうのものに囲まれた暮らしをしているのか。そんなことを考えるのもおもしろい。
でも撮らなかった。「ご自由にお持ちください」なのだから、きっとご自由にお撮りくださいと言ってくれるようにも思ったのだけれど、そこには肖像権が発生しそうなプライベートな感じがあって、それが写真におさめることを躊躇させたのだった。
パンデミックも三年目になると、ほとんどのおうちはもう片づけ終わったのか、最近はめっきり「ご自由に」箱を見なくなった。それはそれでちょっとさみしい。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『タラント』(中央公論新社)。
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