街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(26) 木を守る

URPRESS 2023 vol.75 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


ご神木の画像photo・T.Tetsuya

知り合いから、町内にあるご神木の伐採中止を求める署名活動をしていると教えられた。あそこの大木だと言われれば、すぐに思い浮かぶほど見慣れた木である。地主さんが亡くなって、その土地はディベロッパーの所有となり、あらたにマンションを建築するために伐採が決定されたという。保護樹木のはずだが、土地がディベロッパーに渡ったときに指定解除されているという。樹齢何百年にもなる、この町のだれもが見慣れた大木がなくなってしまうのはいかにもさみしい。伐採反対に賛同し、私も署名をした。

今から十数年前も、私の住む町では大木伐採反対の署名活動があった。樹齢二百年のケヤキが、同じような経緯で、保護樹木の指定解除を経て伐採されようとしていた。近隣住民は署名活動をはじめ、二か月で八千を超す署名を集めて区に直訴し、話し合いを重ねに重ねて、結果、業者に売られた土地は区の所有となった。大木は残り、その土地は今、公園になっている。

こちらのケヤキもものすごく大きくて、かなり遠くからでも見える。夏にはもりもりと葉が生い茂り、大きな木陰を作る。この木が切られていたら、風景がまったく変わっていたんだなと、ケヤキの下を通るたびに思う。

木々を含めた自然の光景がいいものだと、年齢を重ねてから気づいた。鳥や虫の生息地であるとか、生態系を守っているとか、冷却効果があるとか、巨木の持つ効用はいろいろ言われているけれど、それより何より、自然の光景は人の心に触れる力を持っていると思う。ゆるやかな風に揺られる葉っぱや、葉の動きによってかたちを変える木漏れ日を見ていると、不安やいらいらが、まったく消えるとはいえないまでも、凪ぐようにしずまるのがわかる。

つらいことが重なったり、絶望的な気分のとき、そういうちょっとした光景を「きれいだなあ」と思えるかどうか、私にとってはかなり重要なバロメーターだ。電車に乗って訪れるような国立公園や、紅葉を誇る山々ではなく、日常のなかで、ふと目にする街路樹や軒先の花、一枚の葉っぱの葉脈でもいい、足を止め、ああ、きれいだと思えたら、私はだいじょうぶだ、と思える。絶望の出口は近い、と信じることができる。

だから私は、自分の状態がよくないと感じるときは、木を見上げ、川に映る空を見、木漏れ日を見つけ、きれいだなあと思えるものをさがす。見つけたら、しばらく足を止めて眺める。私の住む町は緑化計画を推進しているので、ありがたいことにそういうちょっとした自然はまだ多い。——緑化計画と保護樹木の安易な指定解除はなんだか矛盾しているな、とは思うが。

件の署名運動は区長に受理されて、ご神木の伐採はとりあえず延期になった。その下を通るとき、よくよく大木を見上げるようになった。本当に、みごとなくらい大きく、力強く、堂々と枝を広げ、葉を茂らせている。この景色が失われなくてよかったと、木を見上げて思う。住民が守った木は、きっと住民を守ってくれる。そんなふうにも思えてくるのである。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『ゆうべの食卓』(オレンジページ)。

かくた・みつよさんの写真
  • ポスト(別ウィンドウで開きます)
  • LINEで送る(別ウィンドウで開きます)

角田光代さんエッセイ バックナンバー

UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]

UR都市機構の情報誌[ユーアールプレス]の定期購読は無料です。
冊子は、URの営業センター、賃貸ショップ、本社、支社の窓口などで配布しています。

CONTENTS

メニューを閉じる

メニューを閉じる

ページの先頭へ