街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(2) 授かるもの

URPRESS 2018 vol.54 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


photo・T.Tetsuya

庄内地方を訪れたとき、お茶の時間に、お茶と山盛りのだだちゃ豆が出てきて驚いた。その場には五人いたのだが、山盛り一皿で五人ぶんなのではない。山盛り一皿がひとりぶん。多くの家でだだちゃ豆を栽培していて、季節になると、毎日毎食食べても余るくらい収穫できるらしい。
だだちゃ豆という名前を東京でも聞くようになったのはせいぜいこの十年くらいで、以前はまったく知らなかった。今だって東京のどこでも手に入る、というわけではない。しかも高価だ。はじめて食べたときは、たしかに味の濃さに驚いた。私にとってだだちゃ豆は「貴重品」の分類である。だから、山盛り一皿を見てなんとも不思議な気持ちになった。
そういえば、仕事で青森にいったとき、どこでもリンゴを出してもらったことがあった。このときはテレビのロケで、一日に三、四軒の家庭やお店にお邪魔したのだが、そのどこでも、「これみなさんで」と剥いたリンゴを山盛りで出してくれた。しかも帰り際には、「みなさんで」と、ビニール袋にリンゴを四、五個小分けして渡してくれた。このときも私は不思議な感覚を抱いた。

リンゴは、私の住む町では百五十円から五百円する。八百屋さんでは二百円、安くて百五十円、某スーパーマーケットでは二百二十円、某スーパーマーケットでは五百円。つまり、値段を見て「五百円だから買うのをやめて、キウイにしよう」とか「ひとつ二百円だけど三個だと五百円か」などと考えて買うものなのだ。なのにここでは、まるで拾い放題の松ぼっくりみたいな扱いでじゃんじゃんリンゴが出てくる。だだちゃ豆も、リンゴも、その土地の人にとっては買うものではなくて、授かるものなのだろう。

そんなふうに何かがたくさん収穫できて、それがあることが当たり前である、そういう土地に住んだことがない。だから、その感覚がわからない。だだちゃ豆でもリンゴでも、こんなに毎回山盛りで食べるのなら、飽きてしまって見たくもない、とならないのだろうか、と思うが、その土地の人は、「だだちゃ豆を食べると枝豆なんか食べられない」とか「やっぱり青森のリンゴはおいしいでしょ」などと、誇らしげに言うし、心底それがおいしいと思っている。おいしいと思っているから、客人にもどっさりくれたり出したりしてくれるのだ。

先日訪れた和歌山では梅だった。お鮨屋さんで、「これみなさんで」と、びっくりするくらい山盛りの梅が出てきた。梅酒に使った梅をお茶うけに食べるらしい。果肉たっぷりの大きな梅である。このサイズの梅、あの八百屋さんだったら一キロ八百円、あのスーパーだったら千五百円......、と無意識に考えている自分が、ちょっと恥ずかしい。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『私はあなたの記憶のなかに』(小学館)。

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