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角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(4) 律儀な桜

URPRESS 2018 vol.53 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


photo・T.Tetsuya

自分の暮らす東京でしか満開の桜を見たことがないが、国内の各地に、桜の名所はある。公園だったり、川縁だったりする。桜の季節でなくても、桜の木だとすぐわかる。わかったとたん、花をつけていない木々がいっせいに花開くところを思い描く。まぼろしの満開をそんなふうに見た気持ちになって、ぜひとも桜の季節にきたい、こよう、と思うが、一度もそういう場所で花見をしたことがない。
昨年鹿児島にいったのだが、あと二週間もすれば桜が咲くという時期だった。川沿いにずらりと並ぶ桜が花をつけるという。そのとき乗ったタクシーの運転手さんともやっぱり桜の話になった。「あと十日ばかり遅くくればよかったね」と運転手さんは言い、そして「不思議なことに、毎年この時期になると桜は律儀に咲くものだね、何があっても咲くね」と独り言のように言った。その言葉が心に残り、ことあるごとに思い出す。だれが言ったんだっけ……、と忘れているときもあって、ああ、見ず知らずの運転手さんだったと思い返す。

七年前、二〇一一年四月、私は新聞社の依頼を受けて東北の、太平洋沿岸の町々を歩いた。町がなくなっているのに咲いている桜があった。そのことに私は心底驚いた。青空に映える満開の桜がうつくしいことに衝撃を受けた。自然とはなんと残酷なのだろうと思った。こんなにもかなしい現実のなかで、季節がくれば桜はうつくしさを誇るかのように花開くのだ。たたえる人も、見る人すらもいなくても。

運転手さんが何気なく言った一言は、私にこの光景を思い出させた。本当にそうだ。何があっても桜は咲くし、そのことは当たり前のことではなくて、とても不思議なことなのだ。
七年前に抱いた、残酷だという感想は、私のなかで少しずつ変わっているらしいと、それもまた運転手さんの言葉で気づかされた。例年より寒かろうが暑かろうが、降雨量が多かろうが少なかろうが、温度がゆるむとつぼみがふくらみ、あるときいっせいに花が開く。変わり続けるしかない私たちの暮らしに、そんなふうに変わらないものがあるということは、ときに私たちを救うのではないか。そんなふうに思うようになった。

毎年、律儀に桜は咲く。咲くことがわかっているのに、空を覆うように満開になった木を見れば、つい目をみはって立ち止まってしまう。毎年毎年、満開の桜を前に私もこうして律儀に惚けていたい。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『私はあなたの記憶のなかに』(小学館)。

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