角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(2) ファミレスならぬ、家族食卓
山形の鶴岡で仕事があり、一泊した。なんの観光もしないまま、翌日帰るというあわただしいスケジュールだったのだが、仕事相手の方が、帰る日、空港まで送りがてら「麦きり」の有名店に連れていってくれた。
麦きりという食べものを私は知らなかった。うどんより細い麺で、つゆにつけて食べる。庄内地方の名物らしい。連れていってもらったのは田んぼの真ん中にある、十時から開店している店だ。私たちが店に入ったのは十一時過ぎ。メニュウには、麦きりと、麦きりと蕎麦のあいもりのみ。
注文した麺が運ばれてくるまでのあいだに、どんどんお客さんがくる。若いカップル、老夫妻、家族連れ、若者たち。あっという間にテーブル席も座敷席も埋まってしまった。開け放たれた窓の向こうに、来週には刈り取りがはじまるという田んぼがずーっと広がって、遠く山の稜線が見える。
十二時を過ぎると一時間待ちの列ができるという有名店と聞いていたので、観光客に人気なのだろうと思っていた。でも、満席の大半は地元の人たちのようだ。年齢層が非常に幅広く、おじいさんおばあさんから、赤ちゃんまでいる。日曜日、みんなで麦きりを食べにいこうと言い合って、車に乗って出かけるんだろう。遠くまで続く黄緑の田んぼも、麦きりという料理も、車でしかこられない飲食店も、私にはぜんぶ非日常だが、ここにいる多くの人たちには日常の風景だ。家族連れが多いせいで、店そのものがどこかの家の広い居間みたいにくつろいだ空間になっている。なんだかいいなあ、すごくいいなあ、と私は憧れるように思う。
ファミリーレストランとかファストフード店ではなくて、その土地独自のもので、家でも作れるけれど、今日は休みの日だしおいしい店にみんなで出かけよう、という雰囲気が私はものすごく好きなのだと思う。昨年、高松空港からフェリー乗り場に向かうときも、三十分程度の空き時間を利用して、タクシーの運転手さんにお勧めのうどん屋に寄ってもらった。ここもまた、年齢層の幅広い家族連れで混んでいて、店内が知り合いのおうちみたいになっていた。ここでも私は、いいなあと羨むように思っていた。
休日のファミリーレストランで、そんなふうに思ったことはただの一度もないのは、それが私にはより日常に近いからだろうか。その地方独特ではない、どこでも食べられるメニュウが、味気ないせいかもしれない。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『私はあなたの記憶のなかに』(小学館)。
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