街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(14)料理愛好家 平野レミさん

URPRESS 2017 vol.51 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


未来を照らす 14 SpecialInterview Remi Hirano お腹の底から豊かになれる人生の幸せをキッチンから伝えます

シャンソン歌手で、家庭の主婦に軸足をおく料理愛好家。
発想力あふれるアイデア料理と、太陽みたいなオーラを放って単調になりがちな日々の食卓に、あったかいエールを送り続けている平野レミさん。
食でつながる子育てや家族愛、その元気の秘密を伺いました。

料理愛好家 平野レミさん自身がプロデュースしたレミパンプラスを手に、キッチンスタジオで。

ひらの・れみ
料理愛好家、シャンソン歌手。東京で生まれ、千葉で育つ。
主婦として料理を作り続けた経験を生かし、「料理愛好家」としてテレビ、雑誌などでアイデア料理を発信中。
おもな著書に『平野レミのお勝手ごはん』『平野レミの新・140字レシピ』など。
父はフランス文学者の平野威馬雄、夫はイラストレーターの和田誠、長男はTRICERATOPSの和田唱、長男の妻は女優の上野樹里、次男の妻は食育インストラクターの和田明日香。
文中でも紹介した「牛トマ」は、NHK「きょうの料理」に初出演したときに披露した超簡単料理。完熟トマトを手で握り潰したところ、本当に視聴者からクレームが殺到したそうだ。

「好き」を応援する、父と夫の子育て

私が育ったのは、千葉にある緑豊かな日本家屋。庭の木に登り、野山を駆けまわって、自分を“オレ”なんて言う「やんちゃな野生児」でした。

父はフランス文学者でしたが、アメリカ人で日本贔屓の祖父の血をしっかり引き継ぎ、日本の伝統文化をこよなく愛する人でした。実家はとにかく人の出入りが多く、特に戦後のいっときは日本人と外国人の間に生まれた子どもたちが、多いときで10数人も同居し、大混雑でしたね。父は自身も苦労したから、路頭に迷っていた子どもたちを見過ごせなかったようです。その支援はすべて私費でしたから、父は偉かったし、黙って尽くした母もすごかったと思います。

ありがたかったのは、私がやりたいことを両親がとことん応援してくれたこと。歌が大好きだった私は、父が声楽の先生に習わせてくれたおかげで、シャンソン歌手になれたんです。

「好きなことを見つけたら、徹底的にやれ」。これは、忘れられない父の言葉です。その子育ての考えが、私の夫とよく似ていたことも、縁ですね。

結婚して2人の息子を育てるなか、子の成長の節目は親も考えどき。たとえば長男が、大事なテスト前日に「お母さん、ギターが欲しいんだっ!」って目をキラキラさせて相談してきて。さすがの私も、「ええーっ、今?それどころじゃないでしょ」と止めかけると、夫は「いやいや、ここは黙ってあいつの好きにさせよう」と言ったの。あのとき、ああしろ、こうしろと押しつけてたら、長男は音楽の世界へいけなかったかもしれません。次男にしても、進学や留学もすべて自分で考えて選んだ道だから、今の人生になったのでしょう。

結局、親はごはんをちゃんと作って食べさせて、あとは子どもが選んだことを信じて、見守る。それで、いいんだなと思います。

「おいしい」は楽しく料理は形より心根

私が料理のお仕事をするようになったのは、主婦になってからのこと。もともと食に関心の深い両親の影響で、子どものときから料理は大好きでした。
そう、野生児の頃からね(笑)。畑からもぎたてのトマトをかじり、土から掘りたてのお芋を焼いてほくほく食べる。自然の素材を五感で味わう喜び、それが私の食の原点なんです。

料理の腕を磨いてくれたのは、夫や子どもたち。自己流で作っては、毎日テーブルいっぱいに料理を並べていました。夫は新作の料理から食べて「これはコクがあっておいしいね」とか、必ず感想を述べてくれました。「マズい」の言葉は一度もなく、難があっても「少しばかり塩が足りないかな」とか。だから「じゃあ今度はもっとおいしくしよう」って私は腕まくりしちゃうわけで、夫にうまく乗せられちゃったみたい。だから世のお父さんたち、おいしい料理を食べたいなら、褒め上手にならなきゃ損ですよ。

料理愛好家として活躍し始めた頃。

また、息子たちが小さい頃は、キッチンのそばで学校の宿題をさせていました。トントンって包丁の音を聞かせ、鍋のグツグツ煮える匂いをかがせるの。お腹がへって「食べたい、食べたい」の大合唱に、「もうすぐよ」と待たせて食べさせる。すると「ごはんを待つ楽しさ」を覚えて、作る景色を知ると、おいしい世界が広がるでしょう。「おいしい」は人それぞれ。その家庭の味の個性があって、子どもの心と体を育てるんだもの。だからね、小さい頃からレトルトの味だけで育てないでほしいな。みんな同じ味のものを食べてると、考えまで同じに育ちそうで怖いじゃない(笑)。

忙しい日は、焼くだけ、ゆでるだけで十分。サラダだって野菜を手でちぎっただけでも、野菜の味がしておいしい。そんなふうに発想をラクに変える「お腹の底から幸せになるレシピ」を、みんなに教えてあげるのが私の喜びなんです。ついこの前も街で若い人が「レミさんのレシピ、超簡単でおいしかった!」と言ってくれて、うれしかったなあ。

料理は形より「心根」が大事。いやいや作るとそんな味になってしまう。「おいしくな~れ」と想いを入れて作ったものを食べると、元気になるの。ホントよ、試してみて。

2人の息子さんとの一枚。

子から孫へ味をつなぐ「食のDNA」

今は息子たちも家庭を持ち、3人の孫もできました。次男のお嫁さんのあーちゃん(食育インストラクターの和田明日香さん)は、子育てに奮闘中。仕事を持つママの大変さはよーくわかるから、いつだって応援しています。

とにかく子どもが幼いうちは、がんばって家でごはんを作って、ベロを育ててあげることが大切。「ベロ」は「味覚」のことね。ベロの味覚を、しっかり育てておくと、離れて暮らしていても、ちゃんと家族はつながれるから。スキンシップも大事だけど、「ベロシップ」がすごく大事なんですよ。

このあいだ長男の家でごちそうになったとき、樹里ちゃん(女優の上野樹里さん)が作ってくれたステーキが、たっぷりのっけたニンニクのカリカリな焼き加減も、手作りソースも、私の味そっくりで驚きました。次男の家でいただく料理にしても、同じく私の味。息子たちに料理を教えたことはないけれど、彼らのベロに私の味がしみてるのね。お嫁さんが息子たちの好きな味で料理して、孫も私の味で育って、つながる。これぞ家族のベロシップよ!

DNAで人はつながっていますが、家庭の味もまた「食のDNA」として受け継がれるものだと気づいたんです。テレビ番組で紹介して有名になった「牛肉とトマトのぐちゃぐちゃ煮(通称“牛トマ”)」。ご存じの方もいるでしょうけど、番組で包丁を使わずに完熟トマトを手で潰したら、視聴者から苦情が殺到したのよ(笑)。

この“牛トマ”は、もとはアメリカ人の祖父の大好物で、それを祖母が作り、父から私、息子と嫁、孫へと伝わり、5代続いています。だからこの“牛トマ”を作っているとき、私は祖父や父の存在を感じるし、私がいなくなっても孫たちは“牛トマ”を食べると、私を思い出すでしょう。料理のなかに家族が生きている。そんな味を一つでも持っていると、ベースがしっかりして、安心して生きていけるんです。

「おしゃべり」で毎日を健やかに

心地よく生きるベースには、まわりの人と仲良くすることが重要です。以前、メキシコの教会を訪れたとき、あちらでは讃美歌を隣の人と肩を組んで歌うんです。歌っているあいだに隣の人のぬくもりも伝わって、あれはいい時間だったなあ。そんなコミュニティーの場が日常にあると、心が安らぎますね。

人と人が触れ合いやすい団地には、コミュニティーを育む豊かさがあると思うんです。食べることが好きなら“ベロの会”でもいいし、花好きの会、歌う会でも。好きなことで集える場があったら楽しそうね。

コミュニケーションを円滑にするには、自分から心を開くこと。その第一歩が「おしゃべり」。最近はみーんな携帯ばかりだけど、自分の感じたことを言葉にしてしゃべらないと、そのうち口が退化しちゃいそうだし(笑)。普段から人と会ってしゃべると、元気になれますよ。

人づきあいでイヤなことがあったら? 私はワインを飲んで、すぐ寝ちゃうの。カレーって作りたては味がとんがってるけれど、一晩寝かせるとマイルドになっているでしょう。人もカレーと同じで、一晩寝て起きると、気持ちがまろやかになってるんです。

心がけているのは、一日一日を一生懸命に生きること。私ね、「目標を持つ人生」にはまったく興味がなくて。目標とか夢とか、そんなことに縛られて生きるよりも、「ああ、今日も一日いい日だった」と思えるほうがいいじゃない。なんにしても、食卓を囲む家族が笑っていたら、それだけで人生はすばらしく幸せよ!

【おおいしれいこ=構成、青木登=撮影】

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