未来を照らす(8)映画監督 是枝裕和さん
世界で注目される映画監督・是枝裕和さんの最新作『海よりもまだ深く』は、 自身が20年近く住んでいた団地が舞台。
長い時間をかけて変化していく団地とそこに集う人々の人生が交差して、「僕自身が一番見たかった」という映画が完成した。
これえだ・ひろかず
1962年生まれ、東京都出身。
早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加、その後独立して「分福」を立ち上げる。
04年の作品『誰も知らない』では、主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で、史上最年少の最優秀男優賞を受賞。その他の作品に『花よりもなほ』(06年)、『歩いても 歩いても』(08年)、『空気人形』(09年)、『奇跡』(11年)、『そして父になる』(13年、カンヌ国際映画祭審査員賞などを受賞)、『海街diary』(15年、第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞等)などがある。
新作映画の舞台は自らが育った団地
5月に公開になる 『海よりもまだ深く』は、東京都清瀬市の清瀬旭が丘団地を主な舞台にしています。ここは、僕が9歳から28歳まで20年近く住んでいた団地で、実際に暮らしていたのと同じ間取りの3DKの部屋で撮影しました。
旭が丘団地には、まだ当時の友達のお父さんやお母さんが住んでいて、撮影していると「これちゃーん」って声をかけられたりもしました(笑)。映画のなかに樹木希林さんのお友達で「ながおかさん」という人が出てくるんですが、モデルにした本人に撮影中に会っちゃって、その場で「すみません、お名前を借りてるんですが」と了解をとったこともありましたね。
なぜ団地で撮りたかったのか? いま、団地はいろいろな形で変化してきていると思います。たとえばリノベーションやリニューアルされた団地があり、単身者が多く住むようになっている団地もある。僕の母は10年前まで旭が丘団地に住んでいたんですが、年に1、2度訪れただけでも、階段に手すりができていたり、公園にあった滑り台がなくなっていたり。さまざまな意味で、僕の記憶と変わってきつつある。いま撮らなければ、僕が子どもの頃に見た原風景がなくなってしまうという思いがありました。
それにあそこは築50年がたち、多摩の雑木林を切り拓いて造った団地が、その頃に植えた木々の緑で再び包まれ始めています。そこにもある種の魅力を感じて、風景としての団地を撮りたかったというのも大きな理由です。
「なりたかったわけじゃない」人生を重ねあわせて
映画のストーリーは、団地に一人で暮らす母親(樹木希林)のもとを、人生に半ば失敗しかけた息子(阿部寛)が訪れ、そこに別れた妻(真木よう子)と子ども(吉澤太陽)も集まり、台風の夜に一晩過ごすという話です。
脚本ノートの1ページ目に書いたのは、「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」という1行でした。
ある晩、自宅の仏壇にお線香をあげようとしたら、香炉に線香の燃えカスが山のように入っていて、線香が立たなかったことがあったんです。それで、中身を新聞紙にあけ、割り箸で燃えカスを選り分けていたら、ふと火葬場でお骨を拾っている記憶が浮かんだんですね。「こういう父親と母親の思い返し方もあるな」と、そのシーンを脚本ノートに書きました。
そこから、香炉を掃除する夜の話にしよう、それは台風の夜で、母親の住む団地で……とストーリーの核ができたんです。次に、そこでかける曲を考えていたら、いつか自分の映画で使いたいと思っていたテレサ・テンの「別れの予感」が浮かんできた。映画の題名『海よりもまだ深く』は、そのなかの歌詞からとったものです。
阿部さん演じる息子をはじめ、母親や別れた元妻も「こんなはずじゃなかった」という思いを抱きながら、夢見た未来とは違ってしまった今を懸命に生きています。そして、映画の主な舞台になる団地も、建設された当時とは、いろんな意味で違う着地にたどりつきつつある。そうした登場人物と団地の人生を重ねられたら面白いと思ったんです。
団地という環境で、自分の置かれた立場なりに豊かに暮らしたい、でも老いていったときにどうなるんだろう。そして母親は……というちょっとした不安や郷愁も含めて描けたらいいな、という思いで撮影に入りました。
団地暮らしのエピソードをふんだんに盛り込んで
この映画では、団地の生活がちゃんと見えないと、そこにある面白さや孤独感も伝わらないと思い、団地生活者の目線で撮ることにすごくこだわりました。
実際に暮らしていた旭が丘団地の1室で、いかにして豊かに暮らそうとしていたかを思い出しつつ、目の前にいる阿部寛さんや樹木希林さん、真木よう子さんをどう動かしたらこの空間が魅力的に見えるかを考えながら撮りました。
狭くて撮影しにくいのでは、と思うかもしれませんが、実はそうでもないんです。ドアがないので、人物の後ろに奥の部屋の仏壇がぼやけながら写り込むことが重要だったり、その狭さが逆に絵にしやすかったりするんですね。
映画のなかに出てくるエピソードも、実際にあったことがほとんどです。たとえば外出するときに鍵をどこに置くか。うちの母親は使わなくなった牛乳瓶受けに入れていたので、それを映画で使いました。それか、ドアの新聞受けの中にひもで吊るしておくか、新聞受けの天井にガムテープで貼っておくか(笑)。いま考えると危ないんだけど、昔は大丈夫だったんですよね。
お風呂にもこだわりました。たまに母の所に帰ると、「寝るだけだから、もういい」って言うのに、母親が風呂場に行ってガチャコンガチャコンって点火を始めるんですよ。それをどうしてもやりたくて、リニューアルされる前の部屋の古い浴槽を探しだして使いました。
台風の夜、公園の滑り台の下でお菓子を食べたのも事実ですし、阿部さんのセリフで「子どものときに登った」と言う給水塔も、実際にあったものです。
台風が来る夜、樹木希林さんが窓からなんだか楽しげに外を見ているのも、母親の記憶です。その前に住んでいたのが屋根が飛びそうな家だったので、引っ越した夜に「もう台風が来ても安心だね」って。そこまでなら普通の人なんだけど、「台風来ないかな、台風大好き」って(笑)。よほど、うれしかったんでしょうね。
思い返すと、当時の団地は、子どもにとっては最高でしたね。旭が丘団地に越す前の家は学校から遠かったから、下校した後に遊ぶ友達がいなかったんです。でも、団地に越したら周りじゅう子どもだし、芝生で野球はできるし、自転車も乗り放題。遊ぶことには事欠かなくて、ほんとうに楽しかったですね。
団地暮らしはアイデンティティーの一部
映画の内容自体はフィクションですが、そこには僕が20年団地に暮らし、離れてからも持っている郷愁や後悔など、さまざまな感情が詰まっています。団地ではいちばん多感な時期を過ごしていますし、その風景や記憶が原風景として完全にすりこまれていて、僕のアイデンティティーの一部になっている。そういう意味では、僕の非常にパーソナルな部分が反映された映画です。
この映画は僕がいちばん見たいし、愛している。僕にしか撮れない映画であることは、間違いないと思っています。
団地は、はたから見るととても人工的に見えるかもしれませんが、思い出される情景はすごく豊潤(ほうじゅん)です。友達と語り合った遊歩道やベンチ、駐輪場や階段の踊り場、ベランダから見える風景……公園の滑り台だけでも、いくらでも語れます。両親の遺影に使っている写真も、団地の公園で撮ったものです。そうした、僕をつくってくれた一つ一つへの感謝の気持ちを込めて、大切に撮りました。
この映画を見ていただければ、団地に住んでいる人や、かつて住んだ人は、「そうそう、団地の暮らしって、こういう面白さがあったよな」「自分もこんなことしたな」と、それぞれが自分のなかにある団地経験を蘇らせてもらえるのではないでしょうか。また、団地暮らしをしていない人は、自分の故郷に置き換えながら見ることができると思います。そういうエピソードをふんだんに盛り込んだつもりなので、そのへんもぜひ楽しんでいただければうれしいですね。
Information
『海よりもまだ深く』
5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他 全国ロードショー
原案・監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:
阿部寛 真木よう子 小林聡美 リリー・フランキー 池松壮亮
吉澤太陽 / 橋爪功 樹木希林
©2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
配給:ギャガ
【阿部民子 = 構成、佐藤慎吾 = 撮影】
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