街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(1)スペシャルインタビュー 葉加瀬 太郎さん

URPRESS 2014 vol.38 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


未来を照らす スペシャルインタビュー 葉加瀬太郎
「一度きりの人生。憧れ続けてきたブラームスと向き合う」

4歳から高校2年のときまでずっと団地住まいの環境で育った、葉加瀬太郎さん。
ヴァイオリンを始め、音楽家の道を志したのもこの頃だ。
プロとなり、型にはまらないマルチな音楽活動を続けてきた彼が、
今、自分のルーツであるクラシック音楽と、再び真摯に向き合っている。
そこに込められた “思い” を聞いた。

ヴァイオリニスト 葉加瀬太郎さん

はかせ・たろう
1968年、大阪府生まれ。
東京藝術大学在学中の90年にKRYZLER & KOMPANYの一員としてメジャーデビュー。
96年からソロアーティストとして活動を開始し、セリーヌ・ディオンとの共演で世界的に知名度を高める。
2002年、自身が音楽総監督を務めるレーベル「HATS」を設立。
アーティストやイベントのプロデュースをはじめ商品企画なども手がけ、幅広く活躍。
毎年恒例となっている野外イベント「情熱大陸スペシャルライブ」およびクラシックスタイルでの全国ツアーは多くのファンが楽しみにしている。
8月にニューアルバム「Etupirka ~Best Acoustic~」をリリース予定。

「長屋」みたいに濃密なコミュニティーだった団地暮らし

4歳のとき、千里ニュータウンの南地区(大阪府吹田市)に引っ越したのですが、記憶にあるのは6歳くらいからですね。6畳に4畳半の2DK。両親に妹2人の5人家族なので、夜になるといろいろなものをどかして、布団をずらっと敷いて寝る、そんな生活でした。

第2次ベビーブーム世代だから小学校は一学年10クラスもあって、団地内も子どもだらけ。よくキックベースやキャッチボールをして遊んでたんですが、ボールが近所の家の窓ガラスに当たって、その家のおじいさんから「こらーっ!」と怒られることもあったな(笑)。団地のブロックごとに公園があり、池のザリガニを捕ったりして、子どもみんなが一緒になって育った感じです。

今の都会のように、隣に住んでいる人のことがわからないなんて、当時の団地ではあり得なかった。どの家も玄関は開けっ放し。長屋みたいに濃密なコミュニティーでした。みんなでワイワイ楽しむのが好きな僕の性格は、あの頃の団地暮らしで育まれたような気がします。

ヴァイオリンを習い始めたのも団地に移った年です。飲食関連の仕事をしていた父が、店のお客さんから「何か音楽をやらせたら?」とすすめられたのがきっかけだったと後から聞きました。ピアノは大きすぎて置けない。そこで、子ども用サイズのヴァイオリンを父が買ってきて、教室に通うことになったんです。
当時、千里ニュータウンでは子どもの習い事が盛んでね。親たちの世代は自分ができなかったことを子どもに託したんでしょうね。僕も例に漏れず、絵画にそろばん、剣道にサッカーと、一週間全部、お稽古事で埋まっていました。ヴァイオリンも情操教育の一環として楽しくお稽古しましょうという雰囲気でした。

団地暮らしが僕の“原点”を育んだ

僕の人生が大きく変わったのは、小学校4年生、10歳の頃に同じ千里ニュータウン内の北地区に引っ越した時からです。大阪の三木楽器でマスタークラスの公開レッスンを受けたのを機に、東儀祐二先生という、五嶋みどりさんはじめ、そうそうたるヴァイオリニストを育てられた先生を紹介してもらい、5年生からレッスンを受けるようになったんです。ところが、僕の弾き方はまったく通用しない。楽譜も読めなかった。最初の半年間は基礎から叩き直されて、一曲も弾かせてもらえませんでした。

ちょうどその頃、のぶこちゃんという可愛くて、ヴァイオリンをやっている女の子と出会ったんですよ。僕の目の前で20世紀初頭の天才ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーのかなり難しい曲を弾きこなし、それが猛烈に上手だった。ショックでしたねぇ。劣等感を抱いたくらい。初恋の相手でもあったから、モテたい一心で、僕も必死に練習しました。動機が不純だけど(笑)。

のぶこちゃんは団地の一棟隣に住んでいたので、その後は家族ぐるみで親しくなって、毎日登校前に一緒にヴァイオリンの練習をしていました。近所迷惑にならないように、自宅での練習は夕方の4時から夜の9時までと決めて、5時間みっちり練習。のぶこちゃんとはクラシック・コンサートもいっぱい聴きに行ったなぁ。それが僕らのデートだったんです。

将来の目標ができたのは、中学2年のときです。西日本のコンクールで2位になったことで自信がつき、将来はNHK交響楽団のコンサートマスターになるんだと、心に決めていました。テレビで「N響アワー」を見るのが楽しみで、好きなヴァイオリンが仕事になるうえに、毎週テレビに出られるなんて最高だな、と。目立ちたがり屋だったんです、当時から(笑)。

おこづかいで買うのはクラシック・レコードばかり。同級生が松田聖子ちゃんや中森明菜ちゃんに夢中になっているのに、僕はアイザック・スターンや古澤 巌(ふるさわ いわお)さんといった、ヴァイオリンの大御所の写真をクリアファイルに入れて持ち歩く、そんな中学生でした。

高校は、10歳から教わっていた東儀先生の母校である、京都市内の堀川高校音楽科へ進みました。高校2年生で学校の近くの学生マンションに移るまで、団地の押し入れの一角が、ずっと僕の専用コーナー。カラーボックスの本棚、ラジオとカセットデッキを置いて、昼は勉強机に、夜はベッドとして利用していました。そこで自分の世界にこもり、音楽に没頭していると何も考えずにいられた。ひたすらブラームスの曲ばかり聴いていました。

藝大進学以降、ジャンルを超えて挑戦。そして今……

今、15~16歳までどっぷり聴いていたブラームスに向き合っています。クラシック界の正統派の方々がブラームスの名盤を残していらっしゃるし、べつに葉加瀬太郎がやらなくてもよかろうと、長年そう思っていました。さらに言えば、僕は40歳ぐらいにはヴァイオリンを”置く”つもりでした。年間約100本、毎回3時間ものコンサートツアーをこなすヴァイオリニストというのは、アスリート並みに体力を消耗しますから、40歳を過ぎたらまず無理だろうな、と。 その後はプロデュースや作曲に専念しようかと考えていました。

その考えを改めるきっかけとなったのが、37歳のとき、尊敬する古澤巌さんとユニットを組んで回ったコンサートツアーでした。古澤さんとは、僕が大学生のとき、セカンドヴァイオリンを務めさせていただいて以来の再会でした。僕より9歳年上の大先輩がヴァイオリン一筋でずっと続けてこられて、ますます技術が上達し、円熟味を増しておられた。そんな古澤さんから、「葉加瀬さぁ、80歳になっても一緒に弾こうな」と言われたんですよ。僕にとってはこれがデカかった。 15歳の時から憧れていた人にこう言われちゃ、やるしかないよなぁと、胸にズシンときました。

でも、自分はちゃんと弾けてないという自覚もあったから、次々に舞い込む仕事から逃れて、中学の時のようにただひたすら自分の世界にこもって、ヴァイオリンと向き合う時間がほしかったんですね。それがロンドンに移住することになった、大きな理由。なぜロンドンかというと、かつてセリーヌ・ディオンとのツアーで世界中をまわった20代のとき、ロンドン・ツアーの折に「いつかこのまちに住みたい」と思ったんです。なぜかわからない。まちの雰囲気が肌に合ったんでしょうね。

ブラームスをやりたいという気持ちが、むくむくと湧いてきたのは、ロンドンに住んでからです。ブラームスは、19世紀、ロマン派のクラシック音楽が最も花開いた時代の作曲家であり、とりわけ弦楽奏者にとってはエベレストのような存在。優れたテクニックが必要なのはもちろん、深い理解力がないと弾きこなせません。子どもの頃から一番愛していた、そのブラームスを、一度しかない人生なのに、やらないでどうするの? そう痛切に思いました。ロンドンで、団地暮らしの時代の自分に出会ってしまったのです。

そんな頃、娘のレッスンをロンドン近郊のメニューイン音楽院に見に行く機会があり、ヴァイオリンの主任教授である小野明子先生のすばらしい腕前を拝見したんですね。「ぜひ僕もレッスンしてください。左手のテクニックに忘れている部分があるので取り戻したいんです」と入門したところ、「あら、右手もダメねぇ」と言われて(笑)。

10歳の頃に東儀先生からダメ出しされたときとまったく同じシチュエーションです。小野先生に基礎から鍛え直してもらい、早7年が経ちました。60歳までになんとかモノにしたいと頑張っています。

古澤巌さん(左)とユニットを組み、コンサートツアーを行った。

震災の一報を受けて ひまわりと僕

僕は阪神・淡路大震災で大切な人を何人も亡くしていますから、ロンドンで東日本大震災の一報を聞いて、いても立ってもいられず、ピカデリーサーカスにある三越デパートの支配人などの協力も得て、すぐに街角コンサートに踏み切りました。それを公共放送BBCが朝のニュースで配信してくれて、どんどんチャリティー活動の輪が広がっていったんです。一人ひとりが、できることをすればいい。これからも僕にできることを精一杯やっていくつもりです。

また当時、僕がテーマ曲「ひまわり」を手がけていた、NHKの連続テレビ小説「てっぱん」の放映が震災で一時中断されました。それが一週間後に放映再開した直後から、多くの方々、仮設住宅に住んでいる方たちからも「失った日常が少し戻ってきた、うれしい」と、ツイッターなどでたくさんのメッセージをいただきました。

じつはひまわりは僕にとって、娘の名前につけたほど好きな花であり、元気の象徴なんです。だから、みんなが元気を分かち合う「祭り」にしたいとの思いから、多くのコンサートでひまわりの種をお客さん一人ひとりに配り、この曲をほぼ毎回演奏しています。 「ひまわり」が収録された最新アルバム「エトピリカ」は、僕がクラシックという自分のルーツに立ち戻り、心から信頼できるミュージシャンたちと作り上げたアコースティックな音楽の集大成でもあるんです。

震災を忘れないために、僕の「祭り」で各地の人を元気づけ、そして僕たちも元気をもらえるよう、今年の秋は全国47都道府県、すべてツアーして回るつもりですよ。

New Album

「Etupirika~Best Acoustic~」HUCD-10166
3,000円(税別)

8月6日に発売となるアルバム
「Etupirka ~Best Acoustic~」は、エレクトリックを一切使わないアコースティックな楽器編成。力強く、温かみもある葉加瀬さんの魅力が詰まったクラシックスタイルの一枚だ。「情熱大陸」などの代表曲をはじめ、ファンに人気の高い楽曲の数々が収録され、バラエティに富んだ構成。

Concert Information

日医工presents
葉加瀬太郎 Best Acoustic Tour"エトピリカ"
supported by Iwatani

ニューアルバムの発売にあわせて、9月~12月にかけてコンサートツアーを開催。9月4日の東京でのコンサートを皮切りに、葉加瀬さんとその仲間たちが47都道府県をすべてまわり、元気を届けます! 詳しくは、HATS(ハッツ)オフィシャルウェブサイト hats.jpをご覧ください。

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