まちの記憶(1)角田光代 ともに年を重ねる
子どものころ、私のあこがれの住まいは団地だった。私の育った町には高い建物はなく、二階建ての民家と田畑が平たく続いていた。三階建てや五階建ての団地は、そのなかでは「高層住宅」だったし、それに、友だち同士が住んでいたりするのも、うらやましかった。友だちと学校からいっしょに帰り、眠るまで遊ぶことができるではないか、そう思うと興奮した。私はバスに一時間乗った先の小学校に通っていたので、そんなふうに気楽に行き来できる友だちが、近所にいなかったのである。
そうして団地には、いろんな隙間があるように思えた。隙間、というのは、用途のないスペースである。階段の下とか、物置の裏とか、自転車置き場のあたりとか。私はとにかくそういう、放置された狭い場所が好きだった。秘密基地に最適だと思っていた。
高い建物のないちいさな町を出て、東京で暮らすようになっても、そのあこがれはまだ残っている。団地が巨大化したような、何十世帯も住める集合住宅を見たときは、思わず見とれてしまった。
私が子どものころにあったような、真四角の団地は今ではずいぶん少なくなって、モダンで、それぞれ個性的な団地が増えた。私の住む町にある団地も、敷地全体が広々としていて、建物がお洒落で、緑の木々がたっぷりと植えられ、歩道も広場もゆったりとつくられていて、その周囲を歩いているだけで気持ちがいい。
週末にランニングをしているのだが、あるとき、隣町まで走っていって、道に迷ったことがあった。迷っても、走っていれば見知ったところに出るだろうと、気まぐれに角を曲がり続けていた。そうしてある角を曲がって、足を止めた。
広い敷地に、あのなつかしい、白くて真四角の団地がずらりと並んでいるのである。ずいぶん規模の大きな団地だったようだけれど、取り壊すのか建て替えるのか、どの建物にもだれも住んでいなかった。建物のあいだにはブランコがあり砂場があり、木々が縁取り、そして私の好きな「隙間」がそこここにある。季節外れで花は咲いていないけれど、ずいぶん立派な桜の木があった。タイムスリップしたみたいだ、と思いながら、ふと思った。この団地がまだ新しいころ引っ越してきた若い夫婦、ここで育った子どもたちとともに、この建物は年齢を重ねてきたのだな、と。そう思うと、今はだれも住んでいない建物が、ずいぶん威風堂々として見えた。満開の桜を見上げるかつての家族の姿が、見えるようだった。そしてまたふたたび、子どものときとは異なるあこがれを、私は団地に抱くのである。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『平凡』(新潮社)。
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