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未来を照らす(4)スペシャルインタビュー AKB48

URPRESS 2014 vol.41 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


未来を照らす (4) スペシャルインタビュー AKB48
「この先に待っている東北の未来に向かって一緒に進んでいきたい」

震災直後から東北地方を訪れ、現地の方々と笑顔や元気を分かち合う活動を続けているAKB48。
アイドルグループとして復興支援に取り組むメンバーに、お話をうかがいました。

アイドル AKB48

小嶋真子(こじま・まこ)さん
1997年生まれ、東京都出身。
2012年第14期研究生オーディションに合格、13年正規メンバーに昇格。

高橋みなみ(たかはし・みなみ)さん
1991年生まれ、東京都出身。
AKB48総監督。2005年に1期生として加入以降、AKB48の成長を支え続けている。

岩田華怜(いわた・かれん)さん
1998年生まれ、宮城県仙台市出身。
2011年、第12期研究生オーディションに合格、12年正規メンバーに。
仙台市の自宅で被災し、しばらく避難所生活を送った経験をもつ。

「誰かのために」と被災地を訪問

東日本大震災から4年。AKB48の皆さんは、ずっと復興支援の活動をされています。
  • 【高橋みなみ】(以下、高橋) 「誰かのために」プロジェクトという名称で、震災直後から月に一度、メンバー5、6人ずつの編成で、被災地でライブをしたり、握手会で触れ合ったり、昨年からは被災地の特産品やおいしいものを食べて発信する活動もしています。 プロジェクト名の由来は、私たちの『誰かのために』という楽曲のなかに“誰かのために人は生きてる。私に何ができるのでしょう”という歌詞があって、それにちなんでつけたものです。
プロジェクトは、どんなふうに始まったんですか?
  • 【高橋】 震災が起きたときは事が大きすぎて、どうしていいのかわからなかったのですが、秋元康さんをはじめとする大人の方々が、「しっかりとこの事実に立ち向かっていこう、私たちにもできることがあるだろう」と一歩踏み出してくださった。そこで、私たちも行動できました。
  • 【岩田華怜】(以下、岩田) 私は仙台出身なんですが、震災があったときはちょうどAKB48の最終オーディションが控えていて、こんな状況でふるさとから出るわけにいかないし、あきらめようと思いました。そんななかで、AKB48が被災地のための活動を始めているのを聞き、やっぱりこのグループに入りたいと思って。スタッフさんに「待ってるから、絶対オーディション受けなさい」と言っていただいたことが、今につながっています。
震災のときは、どんな様子だったんですか?
  • 【岩田】 私は仙台市の中心部だったので津波の影響はなかったんですが、当時はコンビニにも誰もいないし商品もない、倒れた建物もそのまま。違う世界、違う国に来てしまったようで、「もう、自分のふるさとはないんだ」って感じたのを覚えています。
  • 【高橋】 私は震災1ヶ月後に現地に行き、大きな衝撃を受けました。バスを7時間くらい乗り継いで、倒壊した建物の間を縫って海沿いを通ったんですが、人が住んでいたまちがなくなり、住んでいたであろう建物に撤去するためのバツ印がついていたりして、受け止めるのが難しいというか、言葉も出なかったです。真子は、当時中学生だっけ?
  • 【小嶋真子】(以下、小嶋) ちょうど中学校にいるときに地震が来て、校庭に避難したら昇降口の窓が割れていて。東京にいる私たちでもこんなに怖いのだから、東北の皆さんは本当に怖い思いをしているだろうなと思いました。そのあと、AKB48が被災地活動をしているのを知って、ヒーローみたいに思えました。まさか、自分がAKB48に入って東北を回り、同じ活動をするなんて、そのときは思ってもみませんでした。

トラックでのライブやバスの寄贈なども

「誰かのために」プロジェクトは、AKB48の皆さんの自主的な意志を感じます。
  • 【高橋】 いまでこそ体育館や市民ホールを借りてミニライブなどを行っていますが、最初の頃はライブトラックの上でライブをすることも多かったですね。それでも、小さなお子さんがキラキラした目で見てくださったり、皆さんが笑顔になってくれるのが、とてもうれしかったです。クリスマスには、スタッフがサンタの格好をしたり、本当に手作り感あふれる感じでやっています。
高橋さんは、総監督として「みんなを引っ張って行こう」という感じだったんですか?
  • 【高橋】 私が「行くぞ」と言うよりも、メンバーのみんなが前向きに「その場所へ行こう」「行けてよかった」と言っています。最初のうちは、東京にいるメンバーは何が起きているのかわからなかったのですが、行った子たちが状況を話してくれて、それがみんなに広まって一つの輪が生まれた感じでした。 私たちの復興支援ソング『掌が語ること』でも、みんなで手を取りあいさえすればなんでもできる、という意味の歌詞があるのですが、そうした仲間がいるのはとても心強かったですし、このグループでよかったなと心から思っています。
被災地に行くと、AKB48の皆さんのサイン色紙がいろんなところに飾ってあったり、寄贈したピンク色のラッピングバスをよく見かけます。
  • 【高橋】 私たちが何かをしたり、ライブで「がんばりましょう」などと励ますよりも、逆に「ありがとう」と言われる言葉のほうが大きくて。だからこそ、心から東北の皆さんに会いに行きたいし、皆さんのお人柄に触れに行っているという気持ちのほうが強いですね。
  • 【小嶋】 私も現地に行くたびに、東北の方々は本当に強くて、格好いいなと思います。自分たちが元気を届けに行っているつもりが、いつも元気をいただいています。
トラックでのライブやバスの寄贈なども

支援活動を通して笑顔と元気を届けたい

私たちが東北に行って体験していることを伝えなければ
4年間の支援活動のなかで、思い出に残っていることは?
  • 【高橋】 初めて行ったときに、まだ避難生活をしている方がいらっしゃる体育館におじゃましたんですが、小さな男の子がボールを投げてきて、メンバーと一緒にキャッキャ言いながら走り回って遊んだんです。そうしたら、周りの方が「震災が起きてから全然笑わなかったのに、久しぶりに笑ったのを見た」と驚いて。そのお子さんに少しでも笑顔が戻ったのがうれしかったですね。
  • 【岩田】 震災から半年後、AKB48として初めて岩手県陸前高田市に行ったときです。雨のなか、ライブトラックの上でライブしたあとでハイタッチ会をしたら、「手、あったかいね」と言われたんです。それを聞いたとき、なぜか泣きそうになってしまって。寒いなか何時間も待っていてくれた皆さんは、体も手も冷えきってたし、私たちも雨のなかのライブで決してポカポカではなかったんですが、人と人が触れあうだけであたたかみが生まれるんだと感じて、心の底からポカポカしました。
  • 【小嶋】 ライブをしたときに、小さな女の子から「きてくれてありがとうございました」とお手紙をいただきました。覚えたてのひらがなで書いてくれて。来てよかったな、また行きたいなと思えたし、「ありがとう」としっかり文字にして私たちに伝えてくださったのが本当にうれしくて、幸せでした。
このプロジェクトを通して、自分たちのなかで変わったことはありますか?
  • 【高橋】 考え方が根本から変わりました。震災が起きる前は、なんでこんなに皆さんが応援してくださるのか、そして自分たちに何ができるのか、わからない部分がありました。でも、震災後に全国の握手会に行くと、特に東北から離れている地方では、現地で起きていることの大変さがわからなくて、全然空気感が違うんです。それを知って、「私たちが現地に足を運んで体験していることを伝えなければ。それが私たちにできることだ」とわかりました。
  • 【小嶋】 去年、ある番組で三陸鉄道に乗ったんですが、そこで感じたのは、やっぱりその場所へ行って何かを感じたり、人と触れ合うことがすごく大事だということ。うれしかったのは、同じところに2回行かせていただくと、前回は瓦礫があった場所が、きれいになっていたりする。それを見ると自分も地元の人のようにうれしくて、皆さんが元気になっていく姿を一緒に見たいと思いました。

東北のおいしいものもみんなに発信

支援活動を通して、自分のなかでこれだけは絶対忘れないでおこう、守っていこうということはありますか
  • 【高橋】 知ることを恐れないことですね。最初は、どういう現実があるのかわからなかったし、現地へ行くのが怖かった。知ってしまうということは、関わっていかなければいけないということですから。でも、行くからには逃げない、と覚悟を決めて行きました。この活動を通して、恐れずにちゃんと知ることが、いかに大切かがわかりました。
  • 【小嶋】 私はやっぱり笑顔。私たちが現地で元気をもらっているのは、きっと皆さんが心の底から喜んで笑ってくださる笑顔があるからだと思うんです。笑顔の人がいると心があったかくなって、一緒に笑える。これからもアイドルとしても、一人の私としても、どんなときも笑顔を絶やさないでいたいです。
  • 【岩田】 東北は自分が生まれ育った大切なふるさとだし、私の原点。いつも最初に頭に浮かぶのは被災地のことで、ずっと忘れてはならないと思っています。うれしいのは、以前は被災地訪問など震災に関係するお仕事が圧倒的に多かったんですけど、最近は震災とは関係なく、仙台などのイベントに呼んでいただくことが増えたこと。それと、「もう被災地と呼ばないでほしい」と言われたことがあって、風化させるのとは違う意味で、皆さんどんどん忘れようとしているのかなと感じました。東北の人たちはどんどん前に進もうとしているので、私もふるさとに帰るときは暗い顔をせずに、明るい気持ちで、とにかく元気を届けようと思っています。そして、これからも東北に帰って、東北のお米を食べて、東北の空気を吸いたいと思っています。
そうやって現地のおいしいものを買ったり、食べることも大きな支援になりますね。
  • 【高橋】 本当においしいものがたくさんありますよね。私が好きなのはソースかつ丼(笑)!ボリュームたっぷりでおいしくて、すぐにSNSにアップしました。
  • 【小嶋】 牛タン、大好き(笑)。宮城県に行ったら必ず食べます!
  • 【岩田】 私は福島の桃や気仙沼の海鮮ですね。残念なのは、「危ないんじゃないか」「安心して食べられない」と言う方がまだ多いこと。何重にも検査をして本当に大丈夫だから販売しているので、ぜひたくさんの方に安心して食べていただきたいです。
東北のおいしいものもみんなに発信
ライブトラックでのライブなど、AKB48の東北支援活動は定期的に継続。東北以外の人々に現地のことを知ってもらう活動も続けている。
復興にはまだ時間がかかる 私たちはいつまでも 東北に通い続けますHair&Make Styling / osare company

みんなで手を取りあい前に進んでいきたい

復興まではまだ時間がかかると思いますが、今後の活動は?
  • 【高橋】 災害が起きた直後は、いろんな方が寄付をしたり、ボランティアに行きますが、時間が流れると、どうしても関心が薄れてしまいがちですよね。東日本大震災でも、足を運ぶ方が少なくなっていくのが現状らしく、「ずっと来てくれるのはAKB48だけ。でも、まだまだ復興には時間がかかるから、みんなに来てほしい」という言葉をいただき、続けていくことが大事だとあらためて思っています。 私は今年AKB48を卒業しますが、新しく入ってくる子たちにもきちんと引き継ぎ、来年からは高橋みなみとして震災と向き合い、ファンの方と一緒に自分にできることを探していきたいです。
  • 【岩田】 私はAKB48の中で現地であの揺れを体験した唯一のメンバーなので、私にしかできないこと、私にしか言えないことが少なからずあると思っています。何十年たっても私は行き続けないといけない、会い続けなければと、4年たったいま、痛いくらいに感じます。
  • 【小嶋】 実際に被災地へ行って歌やダンスを届けられるのは、アイドルとしての自分にできることの一つだと思うので、アイドルとしても、一人の人間としても、自分にできることを、これからも一生懸命やりたいです。
最後に、被災地の皆さんにメッセージをお願いします。
  • 【小嶋】 復興に取り組む皆さんには、大変なことや心の傷もあると思いますが、私たちが歌って踊ってその楽しさを伝えて、笑顔になってもらうことが、少しでも癒やしになればいいなと思っています。
  • 【岩田】 私が一番伝えたいのは、「被災者だから我慢したり、夢をあきらめる必要は決してない。夢をかなえてほしい」ということ。私はいま東京に住んでいますが、自分が何かすることで東北に元気が届けられたらいいなと一番に考えて活動しています。自分の夢をかなえることで、ふるさとが元気になるかもしれないと思ってみんながやっていけば、きっと目に見えない復興も進んでいくんじゃないかなと思います。
  • 【高橋】 現地で復興に尽くされている皆さんは、私たちの未来、進む道を作ってくださっている。そうしたご努力がいまにつながり、進めない道はないんだなと感じています。まだまだ気持ちが晴れない方もたくさんいらっしゃるでしょうし、失ったこともたくさんあると思います。でも、これから進む先に見られる景色や、作っていけることがきっとあると思うんです。私たちは若くて微力ですが、前向きで力強い東北の方々の力をいただきながら、みんなで手を取りあって前に進んでいければと思っています。

【阿部民子 = 構成、佐藤慎吾 = 撮影】

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