まちの記憶(4)角田光代 町の明かり
二〇一一年の四月、東日本大震災の一ヶ月後に、新聞記者とともに三陸地方を旅した。その光景を見て、新聞に記事を書いてほしいという依頼を受けたのである。そうすることにひどく戸惑いながらも、承諾し、震災がめちゃくちゃな傷を残した町を、ただ呆然と歩いてまわった。
その同じ道程を、二〇一三年の冬もまた、旅した。その年はずっと雪が降っていて、かつて見た町並み——町並みがあった場所——は、真っ白に染まっていた。二〇一一年は、崩れた家と生活の欠片がひしめいていたが、それらはすでに撤去されたのだということが、その白く果てしない空間を見てわかった。これだけしか進んでいないのか、という途方もない気持ちと、こんなにも整地されたのか、という頼もしい気持ちと、両方わき上がり、でも実際、どのように思えばいいのかわからなかった。
はっきりと「町が変わった」と思ったのは、釜石の夜である。凍った車道を車で慎重に走り、宿を目指しながら、暗い町並みのそこここに明かりが灯っている。それがはっきりと、二〇一一年と違う。飲食店の明かりである。そんなにこうこうとしているわけではない。けれど、真っ暗だった二〇一一年と比べると、ものすごい変化のように私には思えた。
宿に荷物を置いて、呑ん兵衛横丁に向かった。かつてあったところから場所を移して、仮設店舗で飲み屋街は営業している。通路を挟んでひしめく店から明かりが漏れて、降る雪を浮かび上がらせている。どの店も大賑わいだった。やっと入れる店を見つけて腰を下ろした。自分でも驚くぐらい、ほっとした。飲み屋があって、営業していて、仕事を終えて、さあ飲める、ということに。
その後にまわった気仙沼、女川でも、仮設店舗で営業している屋台街、飲食街、市場がよくあった。立ち寄ると、どこも活気があった。あるいは、私の目はそういう店や、店の明かりばかり、さがしていたのかもしれない。飲食を扱う店が戻ってきて、活気がある、ということは、本気で町が立ち上がったということのように、私には思えるのだ。その土地のものを食べること、飲むこと、集って酒を酌み交わすこと。そうしたことが、栄養とはまたべつの、私たちを生かす力となるのかもしれない。
車に乗って移動中、窓からある看板を見つけた。雪の積もった空き地に、手書きの看板が立っている。「ご支援ありがとうございます。いつかかならず恩返しいたします。気をつけてお帰りください」と、そこには書かれていた。その気遣いに、胸に明かりが灯ったような気持ちになった。
この空き地にもいつかまたふたたび家は建ち、今は何もない空間を、人々はまた自分たちの町を、暮らしを取り戻す日がくる。自分にできることをさがしてその日を待ちつつ、でも一方で、この旅で見た町の景色は、私の内に残り続けるだろうと思う。灯りはじめた明かりや、雪の空き地に立つ、心のこもった看板は。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『今日も一日きみを見てた』(角川書店)。
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