街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(12)女優 吉岡里帆さん

URPRESS 2017 vol.49 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


未来を照らす(12)「演じることは奥深い。見る人に勇気を届ける女優になりたい」

「URであーる。」のCMに出演している吉岡里帆さん。
今、もっとも注目されている若手女優のおひとりです。
URのお仕事のこと、伝統文化に育まれた京都時代、そして、これからのお仕事について、率直に語っていただきました。

女優 吉岡里帆さん

よしおか・りほ
1993年京都府生まれ。
書家を目指して京都の大学に進学するが、演じることの面白さに目覚め、小劇場の舞台に立つ。
京都と東京の演劇スクールを往復する日々を経て、2013年より女優としての活動を開始。
2015年のNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」ののぶちゃん役で一躍注目を集め、テレビ、映画、舞台、CMで活躍中。
特技は書道とアルトサックス。趣味は猫と遊ぶこと。

UR賃貸住宅のCMに出演
まちを見る目が変わった

昨年の12月から、「URであーるガール」としてUR賃貸住宅のCMに出演しています。本当にたくさんの方に見ていただいて、その反響の大きさに驚いています。先日もドラマのイベントに行ったときに、私がCMでしているのと同じメガネをかけているお客さまがいらして、びっくり。あのメガネは特注だったので、「どうやって作ったんだろう」って考えちゃいました(笑)。

実はNHKの連続テレビ小説『あさが来た』の、のぶちゃん役を演じて以来、メガネ姿が定着しすぎるのが怖くて、メガネをかけるお仕事を敬遠していたんです。でも、「1年がんばったし、もういいかな」と解禁したのがこのCMでした。出演のおかげで、たくさんの方に顔を覚えていただけました。ドラマ『カルテット』(TBSテレビ)などクセのある役を演じることが多いのですが、CM効果で「明るくて元気な部分もあるんですね」と言っていただけるのも、すごくうれしいです。

CMのきっかけになったのかなと思うのが、1年ほど前からナビゲーターを務めているJ-WAVEの『UR ライフスタイルカレッジ』という番組です。毎回、ゲストを招いて思い出のまちや気になるまち、生活を向上させていくためのお話などをお聞きします。この番組のおかげで、私も毎日を丁寧に過ごすようになりましたし、もっと素敵な生き方をしたいとか、もっとまちのためにいいことをしようと心掛けるようにもなりました。

まちを見る目や、歩き方まで変わりましたよ。お年寄りや障がいのある方のことを考えたバリアフリーや、子どもたちのためのまちづくり、学生に優しい空間づくりなど、まちの特徴を意識して見るようになりました。CMのご縁でURの団地もいろいろ見せていただきましたが、公園があったり、敷地内に木がたくさん植えてあるのがいいですね。子どもの頃、近くの団地に公園があるのがすごくうらやましかったことを思い出します。都会であればあるほど、一軒家やマンションは遊び場所に苦労するけれど、団地は守られた場所で遊べるし、同じくらいの歳の子どももいっぱいいて、子どものコミュニティーが広がるのもいいですね。

URは渋谷や大手町などで都市再生事業も手掛けているとお聞きしました。CM出演をきっかけに、まちを暮らしやすく、住み心地よくするために、たくさんのプロフェッショナルが関わっていらっしゃることを実感しています。

日本文化が根付く京都で生まれ育って

生まれ育ったのは京都の太秦(うずまさ)です。映画村が近くにあることもあって、お芝居や演劇など、小さい頃から文化的なものが身近にありました。両親、祖父母ともに伝統芸能が好きなので、私も歌舞伎や能に連れていってもらい、日本の芸術文化に触れるのが休日の楽しみでした。京都は「日本の伝統文化を守りましょう」という意識が生活のなかに根付いているんですよね。神社仏閣を保存するのはもちろん、高校3年のときに一軒家に引っ越したんですが、父から「家を建てるのに、屋根の色や家の高さなどの規制がすごく厳しい」と聞かされて、まちづくりが徹底しているんだなと思いました。

観光地としての見どころもたくさんありますが、実際に住んでいると、空気の流れみたいなのがすごく魅力的です。実家に帰ると空気の流れがゆっくりと穏やかで、とても落ち着きます。

盆地で山に囲まれているし、自然が多くて空気が清々しい。夏はすごく暑くて、冬はすごく寒いことも、住みにくいように感じるんですけど、裏を返せば、四季をちゃんと感じられるということ。いまも故郷が恋しくて、家族とはしょっちゅう連絡をとっていますし、近くで仕事があると必ず立ち寄っています。

京都は古いまちだけあって、ご近所付き合いをとても大切にしています。町内の情報交換も活発ですし、お互いに言いたいこともちゃんと言います。それも、京都は本音と建前の文化なので、遠回しなんです。

例えば「お宅の木、大きく育たはられましたな」と言われたら、切ってほしいということ(笑)。自分たちが住み心地いいことは大事だけど、ご近所さんとのお互いの配慮がすごく大事なんだな、と学びました。

小さい頃は体が弱くてスポーツがあまりできなかったので、友人に誘われて小学生のときに書道を始めました。週に1回、近くのお教室に通うのが楽しみでした。書家になりたくて大学まで入ったんですが、途中で女優のお仕事を始めてしまいました。

まだまだ若輩ものなので、書道の魅力など大きなことは言えませんが、書道には自分の手で作品を生み出せる喜びがあるんだと思います。先日、大学で師事していた書家の先生と対談する機会がありましたが、線質とか見た目のバランスなどを考え、美しいものを完成させたときの喜び、鍛錬を重ねて生まれる達成感、そしてそれを誰かに届けられる喜びが大きいのかなと、あらためて感じました。

困難を乗り越える前向きな役に挑戦したい

女優をめざしたのは、18歳のときに映画のエキストラをしたのがきっかけです。そのときたまたま隣にいた子が映画監督志望で、「一緒に映画を撮ろう」って誘ってくれたんです。やってみたらすごく刺激的で、感銘を受けて、「この仕事をやってみたい」って。もう、直感ですね。それからは、時間を忘れるくらいのめりこんで、演劇や映画を見に行くようになり、いまもその毎日は変わりません。

その後、東京の演劇スクールに通うようになったんですけど、めっちゃ大変でした(笑)。大学の授業に出て課題を提出し、ほかの大学の演劇仲間と活動してから、深夜までアルバイト。それから夜行バスで東京へ行って、オーディションを受けてレッスンをして帰る。そんな生活を5年ぐらい続けました。

そのおかげで、いまもハングリーに頑張れるし、絶対にバテないし、「どんなお仕事でもやります」っていう気持ちです。オーディションに何度も落ちて、「自分はなんでこんなに何もできないんだろう」と、すごく悔しい思いもしたので、お仕事があることは、私にとっていまもキセキみたいな気持ちです。

少しずつお仕事が増えて、初めて役名で呼んでもらえたのが『あさが来た』です。スタジオを出たときに「のぶちゃ~ん」と声をかけてもらったときは、涙が出るくらいうれしかったです。

『カルテット』の来杉有朱(ありす)役を演じたときは、悪役だけに、すごく負荷があるというか、やればやるほど自分の体への負担が大きくて、お客さんに見てもらうのも怖かったですね。4月15日公開の映画『名探偵コナンから紅(くれない)の恋歌(ラブレター)』では、初めて声優にも挑戦しました。慣れないこともあって、手が汗でびっしょりになるくらい緊張しました。

クセのある役が多いせいで誤解されがちですが、実際の私はネアカで楽しいことが大好き。お仕事でも、チームでやる感覚が好きで、最近は大勢でひとつのものをつくる醍醐味もわかってきました。

CMでもお芝居でも、制作側が同じところに向かって緻密につくっていけば、必ずどこかの誰かに突き刺さると思うんですよね。だからこそチームのためには何者にでもなろうと思えるし、何事も甘く見ないで、できるだけ重くとらえるように心がけています。

女優のお仕事って、やればやるほど奥が深くて、感情だけでは太刀打ちできない役もある。技術を磨いていかなければと痛感しています。見ていただく方に喜んでいただきたいから、これからもたぶんずっと悩み続けるだろうし、満足することはないのかもしれませんね。

今後やりたい役はいっぱいありますが、私と同じように葛藤を持っている人たちが困難にぶち当たったとき、それを乗り越える勇気が届くような、前向きな役をやってみたいですね。そういうエネルギッシュな役を演じることによって、私も成長させてもらえるのではないかと期待しています。

【阿部民子=構成、佐藤慎吾=撮影】

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