未来を照らす(10)女優 檀れいさん
今、もっとも活躍する女優のひとりである檀れいさん。
阪神淡路大震災に遭ったことで人生を見つめなおした宝塚時代から、退団後の出会い、そして11月の明治座公演の見どころまで、たっぷりとお話を伺いました。
だん・れい
1992年、宝塚歌劇団に入団。99年より月組トップ娘役を、2003年からは星組トップ娘役を務め05年に退団。
06年、山田洋次監督作品「武士の一分」のヒロイン役で鮮烈にスクリーンデビューを果たし、第30回日本アカデミー賞優秀主演女優賞および新人俳優賞、第44回ゴールデンアロー賞など数々の賞を受賞。その後も映画、ドラマ、舞台、CMと活躍を続けている。
11月4日~27日、明治座「祇園の姉妹」に出演。
阪神淡路大震災で生き方が変わった
宝塚歌劇団の下級生のときに、阪神淡路大震災を経験しました。ちょうど大劇場の公演に向けてお稽古の真っ最中のときでした。リニューアルして2年目、最新の技術を集めた宝塚大劇場は大きなダメージを受けて閉鎖になり、お稽古をすることもできず「これから先どうなってしまうのだろう」と大きな不安に襲われました。余震が続き、同期や先輩、下級生の多くは実家などに帰省するなか、私は寮に残り、寒くて怖い思いをしながら、いろいろなことを考えました。
その頃の私は、宝塚に対する知識もあまりないままに入学し、上下関係、礼儀作法の厳しさにカルチャーショックを受け、また自分自身に劣等感を抱く日々でした。もともと引っ込み思案な性格だったこともあり、夢を抱いて宝塚に入ったというのに、目立たないようにと自分を抑えて、人の後ろに隠れるようにして生活していたんです。
でも、当たり前だと思っていた日常が、地震で一瞬にして変わってしまいました。当たり前のように舞台に立っていた日常が、ある日突然ゼロになってしまったのです。
そのときに、舞台に立って、お客様にお芝居やショーを見て喜んでいただきたいと思って入団したのに、自分はいったい何をしているの? 大変な思いをしながらもここにいるのは、エンターテイメントが好きだったからじゃないの? 自分がやりたいと思っていた舞台をしっかりとやるためには、人に遠慮したり、自分を抑えていないで、もっと自分を出さなければいけないと、そう思ったんです。地震によって、そのときの自分を顧みることができたんですね。
それからは、生きている限り前に進まなければと自分に活を入れたといいますか、人の目を気にせず、なんでも自分から積極的にやるように変わりました。
人生にはいろいろなことがあります。地震などの天災は人間がどうすることもできないこと。できれば遭いたくないし、起こってほしくないですが、もし遭遇してしまったときは、自分がどう次の一歩を踏み出すかが大事なのだと、その経験から痛感しました。自分自身の在り方とか、気の持ち方……阪神淡路大震災は、悲しい出来事ではありますが、自分を変える大きな転機にもなりました。
山田洋次監督とのかけがえのない出会い
2005年に宝塚を退団してからは、舞台のほかにも映画やテレビ、CMなどでお仕事をするようになりました。なかでも特に印象深いのは、映画「武士の一分」での山田洋次監督との出会いです。
その頃の私は宝塚を退団した直後で、舞台での経験はあるものの、映像のお仕事は初めて。何もかもが違う、まったくの未知の世界で、とにかくいい映画を作りたい、いい作品にしたいという思いだけでワンカット、ワンシーンに必死にくらいついていきました。今の自分があるのは、あの映画があったからこそ、そして山田監督に出会ったからこそだと思います。
山田監督にはいろいろ教えていただきましたし、お言葉もかけていただきましたが、特に心に残っているのが、「どんな役をやるにしても、その人自身の在り方、素地が大事なんだ」ということです。役者というものは、ただ役を演じるだけでなく、そこには必ず演じる本人の人間性がにじみ出てくるものなのだと、教えていただきました。それは、宝塚で舞台に立っていたときに、自分で大切にしていた部分でもあったので、とても心に響きましたし、今も折に触れて思い返しています。
これからも、皆さんが喜んでくださることは何でもやってみたいと思っています。ただ、年を重ねていくにつれて、できることが少なくなっていきますし、50代、60代でアクションをするのは難しいですよね(笑)。そういう意味でも、今のうちにアクションとか、アクティブな役をやってみたいですね。
まち歩きやアートでリフレッシュ
プライベートでは、美術や音楽が好きで、時間のあるときは気分転換も兼ねて、まち歩きや建物ウォッチングを楽しんでいます。日本でしたら京都や金沢など、昔ながらの街並みが残っているところが好きですね。そういうまちでは、特に何をするでもなく、ゆっくりと歩いてそのまちの雰囲気を楽しみます。
木造建築が主体の日本と違って、海外では何百年も前の建物が残っているのが魅力ですね。昔、貴族が住んでいたお屋敷やお城がホテルとして使われていたりして、そういう場所を訪れると、古い建物や建造物を通して、「どんな人が住んでいたんだろう」「どんな暮らしをしていたんだろう」と、当時の人々に思いを馳せたりします。日本でも海外でも、そういう昔を感じさせるような場所が、少しでもいい形で残っていってほしいと思います。
美術作品でいえば、最近気になっているのが伊藤若冲です。まだ実物を拝見したことはないですが、あの独特の色の出し方にすごく惹かれます。テレビや本などで絵を拝見するだけでも、こんなにすごい画家がいたということに驚きますし、なぜ当時はあまり認められなかったんだろうと不思議になるくらい。ぜひいつか実物を拝見して、本物の素晴らしさに触れたいと思っています。
プライベートでの空間も大切にしていることのひとつです。おうちに帰ったら、仕事の頭を切り替えたいので、時間がゆっくりと流れるような空間づくりをしたいと思っています。具体的にいうと、さわやかな風や光が気持ちよく通り、窓やリビングから緑が見えるおうちがいいですね。理想は、母が住んでいる実家。ゆっくりと時間が流れていて、心から寛げる大切な空間です。
明治座初出演は古風な祇園の芸妓役
11月からは、東京の明治座で「祇園の姉妹」の公演を務めます。舞台のお仕事は3年ぶり。私にとって、舞台のお仕事は核になっているものなので、すごくワクワクしますし、また舞台に立つ怖さも肌でわかっているので、身が引き締まる思いです。
物語は、祇園で芸妓として生きる姉妹のお話で、私は姉の梅吉を演じ、妹役のおもちゃを剛力彩芽さんが演じます。
この姉妹、性格が正反対なんです。台本を読んだときに、こんなに姉妹でも違うのかなって思うくらい(笑)、ものの考え方から生き方まで、まったく違うんですよね。
私が演じる姉は、祇園の芸妓というよりは、普通の奥さんでいたほうがいいような、情に厚い古風な女性。それに対して妹は、どうしたら自分の得になるかを常に考えているような、打算的な性格なんです。それだけに、姉の私は妹と顔を合わせると、常に妹に振り回される役回りです。物語では、妹が私の幸せを願って「お姉ちゃんにはこの人がふさわしい」と私の人生をひっかき回すので、すごく大変です(笑)。
芸妓役は、以前、宝塚時代に神田の芸妓さんの役を演じたことはありますが、祇園の芸妓さんは初めてです。お着物のお芝居ということで所作はもちろん、京ことばも難しいですが、演じるのは楽しみですね。
出演者の方々は、私たち姉妹を中心に、松平健さん、山本陽子さん、葛山信吾さんという素晴らしい方々ばかり。安心して胸をお借りしながら、それぞれの方々とお芝居をさせていただくのも、楽しみです。そして、皆さまには対照的な姉妹のやりとりを、ぜひ楽しんでいただきたいと思います。
【阿部民子=構成、佐藤慎吾=撮影】
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