まちの記憶(9)角田光代 町を変える力
私の住む町には、戦前からある長屋式建物の並ぶ一角がある。私がこの町に引っ越してきた二十五年ほど前は、その一帯にはちょっとさびれたスナックが数軒あり、あとは閉店したままの店が多かった。ところが十数年前に一転した。あたらしい飲食店が次々とオープンし、活気ある飲み屋横丁に変身した。間口のちいさな、肩を並べるようなその飲食店にいってみると、どの店もそれぞれ趣向が凝らしていて、お洒落で、驚いた。
この長屋式建物のひとつひとつの店内も狭く、トイレのない店が多い。だからこの一帯には公衆トイレがある。そんな場所だから、駅前なのに家賃はさほど高くないのだろう。閉店していた店を若い人たちが借りて、思い思いのお店をオープンしたようだった。彼らの新鮮な発想で、間口狭さや入り口の狭さ、トイレのなさなんかも、あたらしい魅力になっていて、感心したことを覚えている。以来、私もよくこの界隈に飲みにいくようになった。この路地のなかの店で飲んでいると、未だに、旅しているようなちょっとわくわくした気持ちになる。
七年ほど前、ベルリンを旅する機会があった。いちばんわくわくした場所がミッテ地区と呼ばれる一帯だった。旧東ベルリンに属していた一帯だという。開発が遅れたために、古い建物が多く残っているのだが、なんだか妙にお洒落なのだ。ガイドブックを読んてその理由はすぐにわかった。家賃の安いそうした建物を若い人たちが借りて、カフェやギャラリーやショップをはじめたのだという。多いのは「ホーフ」と呼ばれる場所。ホーフとは中庭を意味する言葉だという。中庭を囲むようにして建つ建物内の一部屋一部屋が、お洒落な店となっている。洋服店、雑貨店、カフェ、アクセサリーショップ、不思議なオブジェを並べたギャラリー等々。
団地に似ている。中庭を囲んで、真四角の古い建物が並んでいる。ひとつひとつの部屋がそれぞれ改装されて、お店になってる感じ。玄関ドアが開け放たれたところもあれば、閉まっているところもある。やはり住宅みたいで、最初はドアを開けたり足を踏み入れたりするのに、勇気がいる。訪れる客のあとについて入っていくと、だんだん慣れてくる。部屋ごとに雰囲気がまるで違って、買いものをせずとも、歩いているだけでたのしかった。
ミッテ地区を歩きながら、私は自分の住んでいる町を思い出していた。あの、変身した飲み屋街だ。壊したり、あたらしくしたりするのではなくて、従来あるものをそのままに、町を変えることができるのは、たいていの場合、若い人たちだ。経済や発展とはまた違ったものを目指している、若い人たちの力だ。そんなふうに思った。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。 最新刊は『わたしの容れもの』(幻冬舎)。
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