未来を照らす(17)俳優 吉沢 悠
ドラマに映画、舞台にと活躍中の吉沢 悠(ひさし)さん。
ニューヨークへの留学、結婚などを経て、人との接し方や仕事への姿勢が変わったと語ります。
プライベートでは「一人あいさつ運動」を実践中。
年を重ねるごとに魅力を増す吉沢さんに、映画の撮影で滞在していた種子島でのお話から伺いました。
よしざわ・ひさし
1978年生まれ、東京都出身。
18歳のときに「夢カラオケオーディション」の準グランプリに選ばれたのをきっかけに芸能界デビュー。
2005年に芸能活動を休止し、ニューヨークに留学。
その後、芸能活動を再開。映画、舞台、ドラマ、ラジオなどで活躍する。
趣味はサーフィン、旅行、サバイバルゲーム。
種子島で生まれた地元の人とのつながり
2019年に公開になる「ライフ・オン・ザ・ロングボード 2nd Wave」という映画の撮影で、つい最近まで1カ月間ほど種子島にいました。サーフィンを題材にした映画で、僕は主人公の梅原光太郎を演じています。
趣味ではずっとサーフィンをやっていますが、仕事でサーフィンのお芝居をするのは初めて。種子島も初めて、と初めてづくしの現場でした。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでサーフィンが正式種目になったので、喜多一郎監督としては、その1年前に公開してバックアップできたら、という思いもあるようです。
種子島は、地元の人のビジターへの受け入れ体制がすごくいいんです。「オリジン」という有名なサーフショップの店長さんがアテンドして、種子島のサーフポイントを教えてくださったり。島のいろいろな場所で撮影し、エキストラでも島の人たちにたくさん協力してもらい、全面的にバックアップしていただきました。大杉 漣さん主演の「ライフ・オン・ザ・ロングボード」という前作があり、そのときにスタッフと島の人とがいい関係を築けたこともよかったのでしょうね。
種子島では、ローカルの友達がたくさんできました。安納芋の加工品を作っている会社の社長さんのご自宅に呼んでいただいたり。冗談か本気かわからないんですけど、何も持たずに来ても、島の人に心を開けば、この島では飯が食える、誰かが助けてくれるって、島の人に言われて。喜多監督も、前作でそういう雰囲気を感じたので、また種子島でやりたいと、最初に強く言われました。島の人が「ライフ・オン・ザ・ロングボード」というタイトルにすごく思い入れがあるから、全く違う話だけど「2nd Wave」とつけて、流れを汲んだ、という話もしていましたね。
防災にもつながる「一人あいさつ運動」
種子島で一番驚いたのは、海へ行って、こちらが「こんにちは」「おはようございます」と声をかけると、全員があいさつを返してくれることですね。あいさつすると、雰囲気がよくなるじゃないですか。その延長で「この人いい人だな」みたいな気持ちが芽生えて、「ここの波は、こういうふうに乗ったほうがいいよ」とか「ここのポイントは、もっと奥に行ったほうがいいかも」とアドバイスしてくれるんですよ。それがすごく楽しかったし、こういうことが大事なんだ、と再確認できました。
あいさつに関して言えば、父が消防士だったので、子どもの頃は社宅暮らしで、普段からまわりの人とあいさつし合う環境で育ちました。団地みたいに子どもがいっぱいいて、遊び道具の貸し借りをしたり、放課後に学年も関係なく遊んだり。人との距離感がすごく近かったですね。
現在はマンションに住んでいるのですけれど、「一人あいさつ運動」というのを実践しています(笑)。学生にも「おはよう、今日、学校?」と声をかけたりね。声をかけても無視されることが多いですが、あきらめずに率先してあいさつし続けているんです。
いま、日本列島で地震や豪雨などの災害が多いじゃないですか。あいさつをして近所とのつながりが生まれることが、防災にもつながると思うんです。隣の人の顔を知っていれば、「あの人、大丈夫かな」と考えるし、相手も思ってくれる。顔見知りの人が近くにいる安心感は大きいです。世の中的にも自分にとっても、あいさつすることが、安全で安心な環境づくりや見守りにつながるのではないかと思いますね。
芸能界とニューヨーク、結婚が自分を変えた
もともと僕は、自分の考えや思いを伝えるのがすごく苦手。自分が変わった一番のきっかけは、芸能界に入ったことですね。恥ずかしいという気持ちが大きくて、表現方法がわからなかったときに映画やドラマを見て、「台本を読んでいるのに、自分の心の底から言っているように伝える俳優って、すごい」と思ったんです。そこから、表現方法を知りたい、苦手意識をなくしたい、と役者を志しました
でも実際に仕事を始めてみると、学ばなければならないことが多くて、壁にぶつかりました。それは成長のきっかけにもなりましたが、もともとあまり目立ちたくない性格なので、いっぱいいっぱいになってしまって。芸能界を離れて、ニューヨークに行ったんです。
現地では英語の語学学校に通い、そこで韓国人の友人ができました。言葉はほとんどわからなくても、頑張ってコミュニケーションをとろうとした経験が、後の韓国ロケでも生きました。
ニューヨークではブロードウェイにもよく行きましたね。安いチケットを買うから後ろのほうの席で、僕のところまで役者の熱量がなかなか届かないんです。でも、本当にすごい人って、一番後ろの席まで届くんですね。それに心が震えて、「なんで俺はこっちの観る側にいるんだろう。あっちの演じる側に戻りたい」と悔しく思ったのが、帰国のきっかけになりました。
あと、自分が変わった大きな要因としては……やっぱり結婚かなぁ。いい意味で、思いどおりにいかないですものね、結婚生活は。僕はもともと忍耐強いほうなんですが、妻は自由奔放な人なんで、いまは自分でも謙遜せずに「忍耐強い」と言えるくらい成長しました(笑)。妻が自由な発想をする姿を見ると、自分は考え過ぎだと思えてくる。神様がそういう人を与えてくれたのでしょうか。いいパートナーですね。
今秋、話題の舞台に主演 自分らしく表現したい
9月28日からは「華氏451度」という舞台で、主人公のガイ・モンターグを演じます。演出が白井晃さん、上演台本が長塚圭史さんと、面白い舞台になる要素が揃っているんで、8月から始まる稽古や本番はどうなっていくんだろうという期待が大きくなっています。
原作は、アメリカの作家レイ・ブラッドベリのSF小説で、本の所持が禁止されている架空の社会が舞台になっています。テレビや映像が溢れて人間の思考を麻痺させていくという設定ですが、インターネットやスマホなどに置き換えられる、いまの時代に合った作品なのでは、と思っています。
舞台でも映画にしても、以前は台本をきっちり読み込んで、こういう感じになるんだろうなと予想を立てて本番に臨んでいました。それが、最近はちょっと変わってきたんです。種子島では、台本を読んで頭で考えていたものではなく、現場にあるものを僕自身が素直に感じて、理屈や言葉にならない表現を作品の中に置いてこられたと思っています。それをお客さんが見て、「あれ、なんかこのシーンいいな」と思ってくれたらうれしいですね。
今回の舞台は、キャストの皆さんが個性派揃いなので、こっちが気負ってると対立してしまうような気がして。気負うことなく、素直な気持ちで取り組み、お客さんと一期一会の瞬間を持てたらうれしい。そして、役者の熱量が届くような舞台にしたいですね。
常にビジョンを持ち海外にも挑戦したい
将来についてですか? 活動の場が広ければ広いほどいいですね。映画とか舞台とか、日本だけじゃなくて。
友達に、サッカーの本田選手の分析官をしていた人がいるんです。彼はFCバルセロナの監督になりたいと単身ヨーロッパに渡り、最終的に女子リーグのFCバルセロナの監督になったすごい人なんですが、会うたびに「人に笑われようが、バカにされようが、自分がこうしたいというビジョンを常に持ち続けろ。強く思ってたら、おまえだったら絶対できる」って言われるんです。
いまは日本にいながら海外の作品に参加できるチャンスもある。縁とタイミングと運があれば可能性は開けるので、あきらめずに努力したいと思っています。そのために英語の勉強を積み重ねるなど常に準備を怠らず、自分に厳しく、強い気持ちを持っていたいですね。
【阿部民子=構成、菅野健児=撮影】【スタイリスト/袴田知世枝、衣裳/AU GARCONS(コンフェクション)、ヘアメイク/佐々木愛】
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