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角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(31) メモという日記

  • URPRESS 2025 vol.80 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]

手帳の写真photo・T.Tetsuya

記録魔と呼ばれる人たちがいる。なんでもかんでも記録する。メモ魔には偉人が多いと聞いたことがあるが、記録魔とメモ魔は違うんじゃないか。そう思うのは、何を隠そう私が記録魔だからだ。

自分では、自分が記録魔だなんて認めたくない。なんだかせせこましい感じがする。しかしながら、毎日の夕食(献立あるいは店名、いっしょに食べた人)、週末のランニングのキロ数、体重、見た映画、読んだ本、これらは手書きで記し、歩数、睡眠時間、移動距離、ランニングのタイムは、スマートフォンのアプリが、勝手に測定して記録してくれている。

趣味で記録しているのではなくて、それぞれに理由がある。ランニングは一か月百キロを目標としているから書き記すのだし、体重は大きな変化があったらすぐ気づくように、映画と本は片っ端から忘れるので、二度見、二度買いを避けるために書いている。その上、毎日ではないが、日記も書いている。認めたくないが、私が記録魔でなかったらだれを記録魔と呼ぶのか。

それでも私はメモはしなかった。小説やエッセイになりそうなことが思い浮かんでも、書いたり、スマホに打ちこんだり、しなかった。忘れてしまうなら、その程度のものだと思っていたのだ。

ところがこの数年で、その程度のことではなくてもどんどん忘れるようになり、やむなくメモを取り入れた。スマホのメモ機能に、小説やエッセイにかんすることばかりでなく、いっしょに飲んでいるだれかが勧めてくれた本、映画、観光地、飲食店、なんでもメモする。

このメモは日記とも記録とも違うので、だれに聞いた情報なのか、なぜ書き留めたのか、言葉の意味自体がわからないものも多い。それでもネットで調べれば、これは映画のタイトルか、これは飲食店か、料理名か、というようなことはわかる。「厨子がめ」は沖縄の骨壺であるとか、「しらぬいのり」が有明の海苔であるとか、「フォリーズ」がミュージカルだということがわかる。

それがわかると、メモした自分のことをまず思い出す。それ見たい、それ覚えておきたい、と思った気持ちが、それから、いっしょにいた人がだんだん思い浮かぶ。話をしていた場所が浮かび上がることがある。そうすると、意味のわからなかったたんなる名詞が、がぜん存在感を持ちはじめる。

なかにはまったくわからないものもある。「ちゃてぃふぉん」というのが何を指すのか、これは調べてもわからない。そうした、言葉自体もわからなければ、だれに聞いたのか、なぜメモしたのか、わからないものもあるのだが、いつかふっと思い出す瞬間がありそうで、なかなか消すことができない。

ときどきこのメモ機能を、ただ意味もなく読み返す。意味はなさないながら、これはこれでひとつの日記だよなと、ときどき妙に感心する。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『あなたを待ついくつもの部屋』(文藝春秋)。

かくた・みつよさんの写真

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