角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(9) 「大勢で「いただきます」」
おかしな好みだと思うが、大勢で食べる昼ごはんが私はたいへん好きだ。理由は、おそらく私の仕事の基本単位がひとりだからだろう。仕事場にひとり。ひとりで昼ごはんを食べることをさみしいと思ったことはないし、むしろ、ひとりでさっとすませたほうがらくだ。だから、大勢で食べる昼ごはんが好き、というのは、現実に大勢でごはんを食べたい、という願望とは違う「好き」なのである。
高校を卒業するまでは、大勢の昼ごはんが日常だった。それについて好きも嫌いもなかった。
大学を卒業後、一年だけ一般企業でアルバイトをした。お昼になると、仲のいいアルバイト仲間でいっしょにお昼ごはんを食べた。会社の会議室や、ときには近所の食堂にいって。仲間といっても大勢ではなくて、五、六人だったけれど、それでもそれを「大勢の昼ごはん」と感じるくらいに、そういう機会が減りつつあることを実感していた。
アルバイトをやめて、もの書き生活に入ると、数人で昼ごはんを食べるという機会がぱたりとなくなる。仕事相手の人と食べることはある、友人と食べることはある、でも、何人もで同時に「いただきます」と箸をとるようなことは、まず、ない。そして現在へと到るわけだが、私はときおり、大勢の昼ごはん図をぼうっと思い描いているときがある。アルバイトしていた会社の殺風景な会議室とか、わざわざいくつかの机をくっつけていた中学生のときとか、林間学校の広い食堂とカレーのにおいとかを、ぼんやり思い描き、「ああ、いいなあ」と思う。「好きだなあ」と思う。
そんな私の日々でも、ごくまれに、数人で昼ごはんの機会が訪れることもある。取材の旅である。取材の旅は最少人数がたいてい三人(編集者とカメラマンと書き手)だが、そこに、現地コーディネーターとか、広告代理店の人とか、スポンサー的な人とか、海外だったら通訳などが加わって、大勢になることもある。ふだんだったら初対面の人とともに食事をするのは苦手だが、こういうときの昼ごはんは本当にたのしい。昔が戻ってきたような気がする。若返った気分ということではない。無自覚に享受していた何かとてもいいものを、もう一度味わいなおしている感覚だ。
取材の旅では当然同じメンバーで夜ごはんも食べ、酒も飲む。現実には私はその時間のほうがリラックスできるのだが、好きなのは断然昼ごはんで、記憶に残っているのも、夜ごはんではなくて昼ごはんだ。今は名前も思い出せない仕事相手も含め、大勢で食べた旅先の昼ごはんを思い出すと、同時にものがなしくもなる。そして、そうか、この場合の「好き」は、失ったものを思う気持ちの別名なのか、と気づく。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『大好きな町に用がある』(スイッチ・パブリッシング)。
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