街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(8) その変化はさみしくない

URPRESS 2019 vol.57 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


photo・T.Tetsuya

町と親しくなるのは至難の業だ、と私は思っている。正確にいえば、町と、「私が思うように」親しくなるのは至難の業だ。たとえば私はバンコクが好きだ。九〇年代に幾度か通い、あの複雑な路線バスをなんとか乗りこなし、歩き、町の成り立ちを理解したつもりだった。私に旅の予定がないのに友人がバンコクにいってきたと言うと、おかしな話だが、嫉妬でじりじりした。ほとんど恋だ。
六、七年疎遠にして、ひさしぶりに訪れたバンコクは、まるきり違う町になっていた。近未来にきたみたいだった。私は落胆し、「でも私は昔のあなたを知っている」と町に向かって、というより、自分に向かって言い続けた。そうしないと、町とまったくの無関係になってしまいそうだったから。
本当にその町と(私が思うように)親しくなるには、住むしかない。定期的に通うにしても、一カ月留守にしただけで、町が変わってしまうこともあり得る。町の変化についていけず、通うたびに知らない町に感じられるようだと、やはり、私は猛烈なさみしさを覚える。

東日本大震災で多大な被害を受けた三陸の町を、はじめて訪れたのは八年前、地震の起きた約一カ月後だ。津波でめちゃくちゃに破壊された町の、それ以前を知らないのに、どこを歩いても、かつてあった暮らしのざわめきやリズムが遠く伝わってきて、それがすべて失われたのだという事実に、私は何も考えることができなくなった。
それから定期的に三陸の町々を訪れることになった。久慈、田老、宮古、釜石、陸前高田、気仙沼、南三陸、女川、石巻。たいてい二泊三日で、広い広い東北の二つ、三つの町にいく。半年後、一年後に訪れると、町はどんどん変わっている。仮設だった商店街が、常設の大きな商店街になる。防潮堤ができあがっていく。地図に載っていない新しい道路ができて、新しい町ができる。知ったような気持ちになった町が、次に訪ねたときはまるで知らない町になっている。

三陸の町々にかんしては、私はそれをさみしいと思わない。地震をきっかけにできた町との縁だから、それらの町を知っているとはとても言えない。知らないまま、私が勝手に近づいていっているだけだ。町は、そこで暮らす人々の暮らしを作り上げようと必死に変容していく。未来に向かって進み続けている。足を踏み入れるたびに、ここどこだっけ? 前にきたことがあったっけ? と思うとき、同時に、がんばれがんばれ、とも思っている。そしてときどき、半年前や一年前とは変わってしまった景色のなかに、空の角度や日向と日陰の感じ、スピーカーから流れる音楽のものがなしさ、山々のシルエット、そんなささやかな不変、旅人にもなつかしいと思える何かを見つけたときに、私の思うように町と親しくなった錯覚を抱いて、うれしくなるのだ。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『大好きな町に用がある』(スイッチ・パブリッシング)。

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