未来を照らす(20)俳優 高良 健吾
4月に公開された主演映画「多十郎殉愛記」が話題の俳優・高良健吾さん。
役者としていま、最も脂がのっている一人です。
巨匠・中島貞夫監督とのお仕事や、青春時代を過ごした熊本への熱い思いなど、じっくりお話を伺いました。
こうら・けんご
1987年生まれ、熊本県出身。
2006年「ハリヨの夏」で映画デビュー後、
近年の映画出演作に「月と雷」「いっちょんすかん」「万引き家族」、
待機作には「アンダー・ユア・ベッド」
「葬式の名人」「カツベン!(仮)」などがある。
また、NHK連続テレビ小説「おひさま」、
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」などドラマでも活躍。
巨匠・中島貞夫監督の20年ぶりの作品に主演
最新作の映画「多十郎殉愛記」では、中島貞夫監督とご一緒させていただきました。監督の20年ぶりの長編映画、しかも時代劇。自分としても楽しみでしたし、それに出られることがうれしかったですね。日本で俳優をしている者として、時代劇や殺陣を一から学べたことも、すごくラッキーでした。
中島監督との仕事は初めてでしたが、監督の一言ひと言に、いままでの人生経験や、映画に懸けてきた人の重みがあるんです。たとえば「高良ちゃん、いいよ」という一言にしても、その「いいよ」に多くのことが含まれていて、短くてもすごく豊かな言葉になる。それに対して僕が思ったり、感じることがたくさんあるんです。これこそが、京都の東映でずっと監督をなさり、巨匠と呼ばれる方の現場なんだと感じました。
この映画では殺陣が見どころになっていますが、僕が演じる多十郎の殺陣は、人を斬るためではなくて、愛する人や大切な人を守り、逃がすための、時間稼ぎの殺陣なんです。一振り、一振りが、自分の逃げ道をつくるためだったり、大人数の敵を散らすためのもの。刀はすごく重いので、素早い殺陣などできるわけがないし、息が上がるから、竹の陰に隠れて疲れを癒やしたり、時間稼ぎをする。すべてがとてもリアルで、派手さはなく、むしろ泥臭い。そういうところにも監督はすごくこだわっていらして、京都の東映で長年やってきた方だからこそ思いつくアイデアなんだと感じました。
殺陣に関しては、京都の「東映剣会」で学べたことが、すごく大きかったですね。「東映剣会」では、事前に本番でやることの練習ができないんです。現場で段取りを覚えたら、その何十分後には、もうカメラが回る。何十手あっても、そこで覚えなければいけないし、実際には6、7割しか覚えられない。
斬る人は、斬る前に声を出すというルールがあるから、咄嗟に声がするほうを向いて「どうやってくるんだっけ? あ、こうだ!」と思い出しながらやるのが本番だったりする。あれより怖いものって、たぶんないですね。でも、その緊張感が画面に映って、命のやりとりに見えるんでしょうね。これは本当に貴重な体験でした。
青春時代を過ごした熊本への郷土愛
「多十郎殉愛記」
「木枯し紋次郎」「極道の妻たち」など数々の傑作を撮り続けてきた84歳の巨匠・中島貞夫監督が、20年の沈黙を破りメガホンをとった「多十郎殉愛記」。舞台は幕末の京都。主人公・多十郎を演じる高良健吾が見せる、クライマックスの30分にも及ぶ大立ち回りが圧巻。出演はほかに、多部未華子、木村了、寺島進など。4月12日より全国ロードショー。
©「多十郎殉愛記」製作委員会
京都東映での撮影は独特で、京都の撮影所もいいし、京都の人たちの地元愛がすごく強いのもよかったです。自分が住んでいる所が好きだというのは、いいですよね。
僕も青春時代を過ごした熊本には、特別な思いがあります。熊本のノリも好きだし、まちも好きだし、人も好き。熊本の人には独特のノリや優しさ、強さがあるんですよ。男に関していうと、かっこつけが多いんです(笑)。しかも女性も男の人に対して「男としてちゃんとかっこつけなさい!」っていうのがあって、そのバランスもいいんですよね。
熊本の人には郷土愛の強い人が多いように感じます。それはなぜかというと、熊本は地産地消がちゃんとできている所だからではないかと思うんです。肉も魚も、米も野菜も果物も、全部地元でとれるし、しかもすごく質が高い。水なんか、蛇口をひねればおいしい地下水が出てくるんですから。考えてみたら、それってすごく贅沢ですよね。地元のものを食べて生きてきたら、その土地のことが好きになるはずですよね。
それに、熊本の人は新しいもの好きというか、流行に敏感で、ファッションとか音楽に目覚めるのもみんなすごく早いんですよ。僕も当時ファッションが大好きだったので、まちでタウン誌の人に声をかけていただいて、写真を撮ってもらって、高校生スタッフになって。そこの編集長がいまの事務所を紹介してくれて、現在につながっています。熊本で育っていなかったら、たぶんこの仕事をしてなかったですね。
熊本でおススメの観光地ですか? 僕は阿蘇が好きですね。やまなみハイウェイは、ちょっと日本じゃないみたいで、ほんとうに気持ちいいですよ。風に揺れる緑もいいし、人の手が加わっていない大自然がある。あそこに行くと、エネルギーがチャージできる気がします。それでいて、そこから1時間くらいの熊本市内の繁華街では、金土の夜には昼間より人が多いんじゃないかっていうくらい、お祭りみたいなにぎやかさ。あのまちの様子を見ると、元気が出ますね。
2016年に地震が起きたときは、自分もまわりの人も、みんなボランティアに向かいました。現地ではすごく大変だろうに、明るく笑い合っている人がいるんです。県民性なのか、人を心配させたくないということなのかもしれないけど、それがすごいなと思えたし、とても格好良く見えましたね。
いまは熊本だけでなく、日本のどこでも大地震が起こる可能性があるわけで、それに対しては、備えることしかできないと思っています。食料や水を備蓄しておくとか、大切な人と会う場所を決めておくとか。万が一のときのパターンを考えて、頭に入れておけば、いざというときにパッと動けるはず。常日頃から、そういう心構えが大切なんだと思います。
もう一度、中島組で時代劇を演じたい
デビューして14年になりますが、節目ごとに転機となる作品に出会えたことは、すごくありがたいですね。昔は映画が好きで、強いこだわりもありました。映画の何が好きかといったら……映画を作っている人が好きなのかもしれないですね。映画で学んだことがその人をつくっているし、自分の言葉になっている。自分もそこで育ててもらったと思っています。
そんな自分が大きく変わったのが、2011年のNHKの連続テレビ小説「おひさま」です。それまでの映画では、見た方の反応は撮影してから半年後や1年後になりますが、テレビは反応がリアルにすぐ返ってくるのに驚きました。
僕がクランクインしたその日に東日本大震災が起こり、ワンカットだけ撮って撮影が中断、2週間後に再開しました。ドラマが戦後の復興の話だったこともあり、東北の方から感謝や激励などの反応がすごく多かったんです。自分たちがドラマの中で結婚したら、電報がたくさん届いたり。テレビってこういう力があるんだと感じました。
一昨年30歳を迎えました。30代になる前に、自分の中でこのままだと嫌だなと思うことがたくさんあって、自分なりにやってきたつもりでした。でも、いざ30歳になってみると、全然できていなくて。
20代では若さと勢いで許されたこと、20代だからやるべきことがたくさんあったと思うんです。表現でいえば、20代だったら無意識でやったことがOKになることもある。若いからこそ、それが逆に評価されることもあります。でも、それは不確かなもので、次は同じものができなかったりするんですよね。
30代になると、勢いだけでは演じられません。常に自分で意識して、きちんと言葉にしたり、形にして演じるようにならないといけないと思っています。
これからやりたい役ですか?いますぐにでもやりたいのは、時代劇です。中島監督は「多十郎殉愛記」が最後の長編とおっしゃっていますが、僕はきっと次があると思っています。そういう意味でも、ぜひもう1回、中島組でやってみたいですね。
ヘアメイク=高桑里圭(竹下本舗)、スタイリスト=渡辺慎也(Koa Hole)、衣裳=The Letters
阿部民子=構成、平野光良=撮影
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