街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(6) ちいさい秋ならぬ、短い秋

URPRESS 2018 vol.55 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


photo・T.Tetsuya

この数年、秋が足りない、と私は思っている。残暑がいつまでも続き、暑さにうんざりするころ、急激に涼しくなって、ようやく秋か、と思う間もなく、寒くなってくる。はたして秋はあったのか、と首をかしげたくなるくらいの短さ。
秋には枕詞がいっぱいある。食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋。食を楽しむ暇も、読書に浸る暇も、スポーツをはじめてみるかと決意する暇もなく、このごろの秋は去ってしまう。ほんの少し前までは、もう少し秋の訪れは早く、訪れの知らせもはっきりしていたように思う。雲のかたちや風の感じが、ゆるやかに、しかし劇的に変わって、「夏も終わりだなあ」と思わせた。それから、魚屋さんの店頭に並ぶ秋刀魚や、八百屋さんの栗や梨。コンビニエンスストアでも、おでんや中華まんが売られはじめる。

けれども最近ではなんにも当てにならない。雲が秋らしいうろこ雲になってもだらだらと暑い日が続いたりする。八月の半ばだというのにもう秋刀魚が並んでいたりする。中華まんも、年がら年じゅう売られている。秋だと実感しないまま過ごしていて、あるとき急に冬になる。自動販売機の飲みものがぜんぶホットになっていることに驚いたりする。
最近では、私は自分の季節感知センサーに頼っている。毎週末ランニングをしているのだが、一年じゅう、ほぼ同じ早朝の時間帯に走っていると、季節が変わったことが肌ではっきりとわかるのだ。あ、今日から秋だ。今日から冬だ。そんなふうに明確にわかる。たとえば今年だったら、九月八日に東京の空気は秋になり、走るのがぐんと楽になった。しかし日が高くなるにつれて気温も上がり、朝方感じた「秋」はどこにもなく、昼間は夏の続きみたいになる。私の秋感知と、実際の秋の訪れにはずいぶんの隔たりがある。

猫も、独自の季節感知センサーを持っているのだろう。我が家には天井まで届くキャットタワーがあり、そのいちばん上には、猫がちょうど体を丸めて入れるほどのハンモックがある。このハンモックはもこもこした生地でできているので、夏のあいだは、猫はここには入らない。一度も、一瞬たりとも入らない。しかし九月になるとあるとき急に、ひょんひょんとタワーにのぼってすっぽりハンモックにおさまる。「あ、秋だ」と、それを見ていると思う。この、猫による秋感知は、私のそれよりも、もう少し実際の秋に近い。

走りやすくなっても、猫がハンモックに入っても、しかしどこか、東京の町はまだ残暑っぽい。秋はまだかまだかと思っていると、急降下して冬になる。「あ、今日からもう冬だ」と走りながら私は思い、猫は眠るときにかならずベッドにやってくるようになる。秋の味覚もまだ食べ尽くしていないのに。読書三昧を楽しんでもいないのに。あたらしいスポーツを試してもいないのに。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『源氏物語中』(訳・河出書房新社)。

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