角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(30) 時短と幸福度
タイパという言葉を聞いたとき、なんじゃそれ、と思った。コストパフォーマンスがコスパと略されるように、タイムパフォーマンスのことをタイパというのだと説明を受けたが、この言葉は流行らないだろうなと思った。コスパはわかるが、タイパは意味が伝わりづらすぎると思ったのだ。
ところがタイパはふつうに流行った。言いやすいとか言いにくいの問題ではなく、タイムパフォーマンスという感覚にぴったりくる短い言葉が、ほかにないからだろう。
タイパと時短を私は混同してしまうが、厳密には違うみたいだ。短い時間でより多くの満足が得られる時間対効果のことをタイパと言い、労働や作業時間のたんなる短縮を時短と呼ぶらしい。とはいえ、時短家電を使ったりするのはタイパをもとめる行動なわけだから、厳密にはつながりあっている言葉なのだろう。
私たちの暮らしにおいて、タイパや時短の対義語は、無意味な時間や延長などではなくて、それこそひとむかし前に流行ったスローライフではないのかと思う。
そのどちらも、私はイメージしか持っていない。タイパを重視する人は映画を倍速で見るらしい、とか、スローライフの実践とは洗濯機でなく洗濯板で洗濯し、レンジも炊飯器も使わないのではないか、とか。イメージだけだけれど、そう外れてもいないんじゃないかな。
私は多忙だからではなく、ずぼらゆえに、やむなく時短を取り入れている。映画はさすがに倍速では見ないが、時短家電と呼ばれるロボット掃除機も、電気圧力鍋も持っている。
けれどもそうして時短を生活に取り入れると、一日二十四時間のうち、数十分が何ものかにかすめとられるような気がしている。時間を余らせるために短縮したはずなのに、短縮前よりなぜか忙しくなっているのだ。へんだなあ、ロボットが床掃除をしてくれているのに、郵便局にいく時間がなくなっている、洗濯ものは乾燥機が乾かしているのに、眠る時間が遅くなっていく……なんでだろう? この数年、ずっとそんなことを考え続け、ある疑いを持つに至ったのである。時短は時間を食べるのではないか。あるいは、時短を実行した途端に、自動的にやることがひとつ増えているか。
ならばスローライフに切り替えたら、時間は増えるのか? いやいやまさか。洗濯板で洗濯ものをこすっていれば、夕食を作る時間がなくなって外食になるはずだし、掃除機を使わず掃き掃除をすれば、終えた途端に横になって休憩し、気がつけば夜だろう。
私にかぎっていえば時短ではタイパ的満足はなかなか得がたい。じゃあ何なら満足するのかと考えてみれば、時間を無駄にしているときに思わぬ満足を得ていると気づいた。猫との二度寝、目的のない寄り道、川に浮かぶカモ親子を眺める。俳優の名前が出てこないときに、友だちと思い浮かぶことを片っ端から言い合う時間が、スマホ検索でさっとわかるより、ずっとたのしい。時間をコントロールするより、時間から解放された瞬間が、私には幸福なんだと思う。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『あなたを待ついくつもの部屋』(文藝春秋)。
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