角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(32) 和式の哀愁

デパートの女性用トイレに列ができている。トイレはぜんぶ使用中だが、ひとつだけ、ドアの開いているトイレがある。故障中かな? と思っていると、前の人が「和式なら空いてますよ」と教えてくれる。あ、和式だからみんな使わないのかと合点がいく。合点がいってから、「和式がいやな人がこんなにもいる」とあらためて驚く。じゃ、入るのか? といえば、よほど火急の場合以外は私も入らない。
まずしゃがむのがめんどうくさい。しゃがむ、という動作自体は造作ないが、スカートならばスカートの裾が床に広がらないようたくしこむ、ズボンの裾も床に着きそうなときはまくり上げる、ポケットのなかに入れたものが落ちそうで心配、などなど、洋式にくらべたら何かとやっかいだ。
しかしながら、感覚的にはほんの少し前まで、トイレはぜんぶ和式だった。私の記憶では平成に入るくらいまで、つまり一九九〇年代までは和式のほうがだんぜん多かったはずだ。だから私と同世代以上は、和式トイレの記憶はしっかりあるはずで、公衆トイレに和式がひとつあっても、そんなに嫌がらず入ってあげてもいいじゃないかとは思う。でも入らない。三十数年で、洋式に慣れすぎてしまった。
フルマラソンを走った翌日と翌々日、ひどい筋肉痛で和式トイレはまず無理だ。それからぎっくり腰になったときも、仙骨という臀部のちいさな骨を骨折したときも、転んで尻を強打した後の数日も、和式トイレは物理的に無理だった。
しかしながら昭和の時代だって、筋肉痛もぎっくり腰も、臀部の強打もあったはずで、女性たちはみんななんとか痛みをこらえてしゃがんでいたのだと思うと、妙な感慨を覚える。もっと時代を遡ると、着物姿の女性たちは、裾を何枚もたくし上げてしゃがみ、それについてめんどうとも思わなかったのだ。
この三、四十年でもっとも大きな変化は何かと問われれば、真っ先に携帯電話やインターネットの導入普及と私は答えてしまうけれど、トイレだってなかなかに変化した。洋式がふつうになり、その洋式にはたいていシャワー機能がついていて、冬には便座があたたかくなる。立ち上がれば勝手に水が流れるし、今ではタンクレスのトイレもある。
今、ダイヤル式の黒い電話は骨董品の類になるだろうし、ワープロやフロッピーディスクもとんと見かけなくなった。でも、和式トイレはまだある。公衆電話が、数は減りつつも、いまだ町なかにあるのと同じく、和式トイレも数少ないながら存在している。
デパートやショッピングビルで、ぽつんとひとつだけ扉の開いている和式トイレを見ると、私はさみしいような、申し訳ないような気持ちになる。公衆電話には何も感じないのに、なぜだろう。
洋式トイレには不思議な標識があって、便座の上でしゃがむ人の絵があり、バッテンがついている。便座は乗るのではなく座るのだと教える標識だが、便座の上でしゃがむくらいなら、和式でしゃがめばいいのにと思ってしまう。和式トイレは扉を開けて、ずっと待っているのだから。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『晴れの日散歩』(新潮社)。

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