角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(29) 余暇とは優雅
友人夫妻が、ある温泉場の湯が気に入って、週末、二人でよくいくようになったと話す。東京から車で二時間ほどだから、気軽にふらりと出かけられるのだという。
私も夫も運転免許を持っていないので、そういう「気軽」な余暇の使いかたができない。出かけるとなったら、かなり綿密に交通手段や時刻表、温泉や宿へ徒歩でいけるかどうかを調べてからでないと、出発できない。そして私たちは二人そろってそういうことが苦手である。だから、ふらりと温泉、なんて私たちは未体験だ、と友人夫妻に話すと、「じゃあ、散歩は?二人で散歩はする?」と訊かれ、私と夫は言葉に詰まった。散歩かあ……。
「家から仕事場まで川沿いを歩くんだけど、それが散歩といえば散歩かな……」というようなことを夫が言い、彼が言わんとしていることは非常によくわかったが、「いやいやそれは散歩ではなく、通勤だ……」と私は思わず心のなかでつぶやいた。
私と夫の仕事場は同じ場所の階違いにある。家から仕事場にいくのに、商店街を通るか、バスも通る幹線道路沿いをいくか、住宅街をじぐざぐに進むか、川沿いを歩くか、と幾通りかある。川は細いが、カルガモやコガモ、ハクセキレイやサギがいる。カルガモが子どもたちを連れて泳いでいることもあるし、運がよければカワセミを見かける。春には川沿いの桜が満開になり、夏は蝉の声が降りしきる。この自然ゆたかな通勤路がいちばん歩いていてたのしい。だから夫が「散歩」と言いたくなる気持ちはよくわかる。でも、やっぱりそれは散歩ではない。
散歩というのは、私のなかでは「目的もなくぶらぶら歩く」という定義だ。以前、この仕事場からの帰路、住宅街じぐざぐコースを歩いていたら、民家と民家のあいだの細い路地から、友人カップルがひょっこり出てきたことがあった。周囲には公園も飲食店もない。川も遠いし図書館の類いもない。住宅しかない。「こんなところで何してるんですか」と思わず訊くと、二人は「え、何って、散歩……」と恥ずかしそうに答えた。
そう、どこも目指さない、自分たちでもどこを歩いてるのかわからない、それこそが散歩だ、と私は定義している。だから散歩には、気持ちと時間、双方に余裕が必要である。散歩とは優雅なものなのだ。友人カップルが恥ずかしそうだったのは、その優雅さの自覚があって、それに照れたのだと思う。
私は平日の朝八時半から夕方五時まで、夫は平日休日ともに昼から夜遅くまで、仕事場にこもっている。そうすることが私たちにとってまったく苦ではない。苦ではないからそういう日々をずーっと繰り返せる。結果、ふらりと温泉にいくとか、散歩をするといった、優雅な余暇が私たちにはない、と友人夫妻の会話によって気づいてちょっとびっくりした。
そんな私たちの趣味は映画や演劇を見たり音楽を聴くことで、観劇やライブ後に飲みにいって、明けがた近くまで感想を言い合うことがよくある。これがまあ、余暇のない私たちの余暇ではある。優雅とは言いがたいけれど。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『あなたを待ついくつもの部屋』(文藝春秋)。
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