角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(11) 「これが私」
私には苦手なことがいくつもあるが、そのなかに、コーディネートというものも確実にある。部屋を片づけるのも掃除するのも苦ではないが、見栄えよくすることができない。好き嫌いはけっこうはっきりしているので、家具などの統一感ならあると思う。でも、何かこう、垢抜けない。
乱雑でも落ち着く部屋というものがある。それはもうセンスの問題だ。センスのいい乱雑さだから、客人は落ち着く。私にはそういったセンスがいっさいない。乱雑にすればただの乱雑な部屋になり、片づければ、片づいているだけの部屋になる。
はじめてひとり暮らしをはじめたとき、ちっともすてきではないワンルームを見まわして、「私が貧乏だからいけない」と思っていた。かぎられた低予算で、部屋の賃料を払い家具その他を揃えるわけだから、自分の思い描くようになるはずがない。いつかもっと年齢を重ねれば、部屋も広くなるだろう、部屋はもっとすてきになるだろう。そう信じて二十代、三十代と引っ越しをくり返した。くり返しながら、インテリア雑誌などをいそいそと買ってうっとりと眺めていた。
たしかに年相応に部屋は広くなり、間に合わせの家具ではなくなった。では部屋はすてきになったかといえば、ならない。それで気づかざるをえなかった。私にはコーディネートの才がない、センスがない、むしろ苦手分野だ、と。
最近になってさらにショックを受けたことがある。私は家での宴会が好きで、若いときからしょっちゅう友人たちを招いて宴会をしているのだが、この宴会時のテーブルまわりにも、才のあるなしが関係していると今さら気づいたのである。私は今の今まで、三十年間も、宴会時にテーブルを見栄えよくするなどと考えたことはなかった。ただ取り皿とグラスを配り、料理をどーんどーんと真ん中に置く。テーブルセッティングという言葉があると知ったときは衝撃だった。
たしかに、友人宅に招かれたとき、なんだかテーブルはきれいだった。レストランみたいだった。お花が飾ってあった。お皿の上にお皿がのっていたりした。テーブルクロスではない布がたくさん敷いてあった。数々の食卓が思い浮かんでは消える。
深く自分を恥じた私は、一度、テーブルセッティングに気をつかってみようとしたが、無理だった。花も飾ったが、酔っ払ってだれかが倒しそうなので、早々にテーブルから撤去し、気がつけば、テーブル中央に大皿がどーんどーんだった。テーブルセッティングを本気で習おうかなと思ってみたが、部屋と同じ、才がなければ勉強してもどうにもならないに違いない。いっそ、これが私らしさだと開きなおることにしたほうがいいかもしれない。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)
での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『希望という名のアナログ日記』(小学館)。
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