街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(14) 「想像の外の景色」

URPRESS 2020 vol.63 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


イメージ写真photo・T.Tetsuya

ずいぶん前のことだけれど、モンゴルを旅していたとき、ガイドをしてくれた女の子と日本の話になった。彼女は独学で日本語を勉強し、日本に留学はしていない。彼女に、「日本には地震があると聞いたけれど、地震って地面が揺れるんですよね?」と訊かれて、びっくりした。地震を知らない人がいるなんて! と思ったのだ。

しかし考えてみれば、地震のない国だってあるだろうし、ほとんど起きない国も多いだろう。そういえば、香港を訪れて、中心街のCGみたいな高層ビル群を見るたび、ここは地震がないのだろうなあと思っていた。地震はないが、香港は台風が多い。大きな台風だと外出禁止になるという話を、香港在住の友人から聞いたことがある。それを聞いたとき、町が無人になるほどの台風って、どのくらいのものなのだろうと思った。そのとき私は大型台風をほとんど経験したことがなかったのだ。

ところが昨今は日本でも大型台風が非常によく上陸する。昨年の大型台風のときは、私の暮らす町でも特別警報が出て、スーパーマーケットもコンビニエンスストアも閉店した。東京二十三区内でも避難勧告が出た。まさに町は無人状態だった。

体験したことのないことには、なかなか想像力が追いつかない。地震の少ない国に住む友人が、東京観光にきたその日の夜、大きな地震があって、この友人はものすごい恐怖を感じたそうである。のちに、「どんな歓迎のしかたなのかと思ったよ」と冗談にしていたけれど、たしかに、地震とは地面が揺れることだと頭でわかっていても、実際に体験したら驚くのは当たり前だ。

今回の新型ウイルスのパンデミックは、それこそすべての人が体験したことがなく、想像すら及ばなかったことだ。人と人が対面する場所にはビニールシートが垂れ下がり、飲食店にはアクリル板が設置される光景など、だれも思い描いたことがないはずだ。でも、そうした光景の変化に、私たちはあっという間に慣れてしまって、ビニールシートやアクリル板がないと不安を感じるようになるに違いない。マスクもそうだ。今まで私はマスクをつけたことがなかったのだが、マスクをするようになって一か月、外出した際に、スカートをはき忘れて出てきたような心許なさを覚えて、「あっ、マスク忘れた」と気づき、あわてて家に戻った。一か月でマスクは日常化した。

変化した光景や習慣は、いつか元に戻るのだろうか。それとも、変化が日常化するのか。ずっと若い世代に、昔はみんなマスクせずに歩いていたんだよ、しきりのない対面でものを買っていたんだよ、などと話して、「えーっ、それいつの話?」なんて驚かれるようになるのだろうか。やっぱり想像が追いつかない。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『物語の海を泳いで』(小学館)。

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