【復興の「今」を見に来て!第20回】新潟県糸魚川市

大火から4年目、にぎわいを生むまちづくりが進行中
2016(平成28)年12月に起きた大火で、糸魚川駅北側に広がる約4ヘクタールもの中心市街地を焼失した糸魚川市。5カ年計画で進む復興まちづくりのひとつの象徴となる施設が、今年の4月に完成した。本町通りの一角にオープンした「糸魚川市駅北広場 キターレ」だ。
市民が気軽に集う場「キターレ」オープン
「キターレ」は、市民が多目的に利用できるホールと、糸魚川市駅北大火に関する展示を行うエントランス、奥にはダイニングスペースと厨房があり、火災の記憶と教訓を伝える場にもなっている。有事に備え、地下には200トンの防火水槽も設置された。
「コンセプトは、『つくる・つかう・はぐくむ』。何かを待つのではなく、自分たちで動いて暮らしを良くしよう、やりたいことを実現しよう、そしてふるさとへの愛着を育む場所にしよう。そんな思いで市民が気軽に集える場所づくりを進めています」と話すのは、施設の指定管理者代表の小出 薫さん。
訪れたときには、イベントや持ち込み企画の相談などで、何人もの市民とスタッフが打ち合わせ中。昼時には、奥のダイニングスペースで、地元の人たちがランチのテーブルを囲んでいた。
「夕方には高校生もやってきて、夜遅くまでここで勉強しているんですよ」と小出さん。
新型コロナウイルスの影響を受け、静かなスタートとなったが、「キターレ」の存在が市民の間に少しずつ認知され始めている。


大火を機に新たなまちづくりへ
「キターレ」があるのは、大火後の敷地再編事業で市が取得した場所だ。周辺は道幅が広がり、店舗や住宅の再建が完了。通りには雪国らしい「雁木」が復活。空地となった場所を市が購入して整備した公園が点在し、復興市営住宅で新たな暮らしを始めた高齢者も多い。
大火の直後から復興計画を担当してきた糸魚川市産業部復興推進課の渡辺 茂さんによると、現在、基盤整備や建物再建などハードの復興は9割まで進み、いよいよソフト部分の「まちづくり」が始まるところだという。
じつは、この駅北エリアは、昭和50年代までは糸魚川市の中心として大いににぎわっていた。だが、その後は郊外型店舗に客を奪われ、人口減少が続き、高齢化率は市全体の平均よりも高いなど、さまざまな課題を抱えていた。
新たなまちづくりはどうあるべきか。渡辺さんは、「もちろん大火は不幸な災害ですが、まちが変わるひとつのきっかけになりました」と話す。
「それまでは自分の商売のことで精いっぱいだった2代目、3代目の若い世代を中心に、この大火をきっかけに、まち全体の未来を考えるようになったのです」
災害直後から糸魚川市に派遣され、復興まちづくりをサポートしてきたURの太田 亘は、「焼失した所に住んでいた人と、その外側に住んでいた人、さらに、高齢者と若者でも思いが違います。異なる思いを汲みながら、全体的な大きな目標をどうつくっていくかが課題でした」と振り返る。
市ではブロックごとに意見交換会を開き、住民の声を吸い上げる仕組みをつくった。現在は、復興の先も見据えた駅北まちづくり会議を設け、「災害に強いまち・にぎわいのあるまち・住み続けられるまち」という復興まちづくりのさらなる推進を図っている。
「『にぎわい』というと、これまでは商業的なにぎわい、よそから人が来るにぎわいを考えていました。でも皆さんとの話し合いのなかで、そうではないと気づき始めた。市民がここで交流し、そこから活力を生み出すアプローチを考えるようになりました」と渡辺さんが言う。
「その象徴として『キターレ』が完成したことは大きいです」と太田もうなずく。
この先もずっと、ここで暮らしてよかったと思えるようなまちを目指して。糸魚川駅北エリアでは大火をバネに、新たな魅力あるまちづくりが始まっている。






【武田ちよこ=文、青木 登=撮影】
- LINEで送る(別ウィンドウで開きます)
復興の「今」を見に来て!バックナンバー
UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]
UR都市機構の情報誌[ユーアールプレス]の定期購読は無料です。
冊子は、URの営業センター、賃貸ショップ、本社、支社の窓口などで配布しています。