復興の「今」を見に来て!第6回 Part1
これまでに幾度も津波に襲われてきた岩手県沿岸部の宮古市田老(たろう)地区。
東日本大震災では巨大防潮堤を乗り越えた津波により多大な被害を受けたこの地で、昨年11月22日、待望のまちびらきが行われた。地域の人々にとって復興の新たなステージが始まった。
“津波太郎”の異名で知られ、古くは平安時代の貞観(じょうがん)地震から、江戸時代の慶長三陸地震、そして明治・昭和の三陸地震……と度重なる巨大津波の経験から、防災に力を入れてきた田老地区。高さ10メートル、全長2・4キロメートルに及ぶ世界最大級の防潮堤を築き備えてきたが、2011年のあの日、押し寄せてきた16メートル級の津波は防潮堤を乗り越えてまちを呑み込み、海側の防潮堤の半分を崩して去った。
「まさか津波があの防潮堤を乗り越えてくるとは思わなかった」「自分たちは防潮堤を過信していたのかもしれない」と田老の人たちは振り返る。地元の人々にとって防潮堤は子どもの頃からの遊び場であり、デートや散歩などでなじみのスポットだった。
津波で7割近くの家屋が流失・全壊した田老地区で、震災後、人々の暮らしを支えてきたのは「たろちゃんハウス」。食料品店や精肉・鮮魚店、理・美容室に食堂など22店舗が入居した仮設商店街だ。仮設住宅と同じ敷地内にあり便利で、地域の活動拠点。生活に欠かせない存在だ。
たろちゃんハウスのどの店舗をのぞいても、「どこから来たの?」「遠くからわざわざありがとう」とお店の人が声をかけてくれるのがうれしい。
「ヤマキ商店」で店舗の一角に並ぶ色とりどりの花を見ていたら、「うちは食料品を扱う店なんだけど、田老で唯一の花屋さんが震災で廃業したので、花屋さんがないのはさびしいから花も扱うことにしたの」と店主の山本百合子さん。「息子さんを亡くされた方が来られて“これで息子にお花が供えられる”と喜んでくれたときは、ああよかったと思いました」
先人たちが乗り越えたのだから
春祭りや盆踊りを企画し、地域のにぎわいづくりにも貢献してきたたろちゃんハウスだが、震災から5年を迎える今、メンバーはそれぞれ新たな道を歩み始めている。高台に自宅兼店舗を構える予定の人もいれば、以前に店舗があった市街地近くに新築予定の人もいる。「転居先の土地が決まり、皆さん準備に忙しくなってきました」と話すのは、「Yショップ 宮古田老 箱石店」の店主であり、たろちゃん協同組合理事長を務める箱石英夫さん。
「店舗が各地に散ってしまうさみしさはあるが、今後も協同組合を存続させ、田老のまちの核として共同事業に取り組んでいく予定」だと話す。津波で大切な人や家、財産を失い、打ちひしがれながらも歯を食いしばり頑張ってきた商店のメンバー。人口減少など先行きの不安を抱きつつも店舗再建を決めたことについて、「先人たちは全滅の状態から復活してきました。昔の人にできて、今の人にできないことはないと信じたい」と箱石理事長は語る。新たな店舗でも移動販売や配達を行い、地域密着の商売をしていくつもりだ。
津波で壊滅的な被害を受けるたびに不屈の精神で復興を成し遂げてきた田老の人たち。そのDNAが箱石理事長はじめ、たろちゃんハウスのメンバーにもしっかり受け継がれているのだ。
【妹尾和子 = 文、青木登 = 撮影】
宮古市の復興事業の動き
宮古市へ
三陸海岸に面する宮古市は、リアス式海岸の北端に位置し、宮古を境にして南がリアス式海岸、北が海岸段丘となる。盛岡から北上山地を隔てて約100km。
アクセスは、東北自動車道の盛岡南ICから国道106号線経由で約2時間。
盛岡-宮古は岩手県北バスが運行している。所要約2時間。
観光ガイド
国の名勝に指定されている浄土ヶ浜や三王岩、本州最東端の魹(とど)ヶ崎など、四季を通じて美しい自然景観が楽しめるスポットが点在する。
変化に富んだ美しい海岸線を眺められる浄土ケ浜周遊の観光船も人気。3月以降、天候がよければ、さっぱ船(小型船)で青の洞窟観光も可能。
宮古の観光・物産などの問合せ
(一社) 気仙沼観光文化交流協会
TEL:0193-62-3534
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