復興の「今」を見に来て!第5回 Part2
UR都市機構が市街地整備を進める鹿折(ししおり)は、気仙沼湾の最奥部。
市内でもひときわ震災の被害が大きかった地域だ。
津波とそれに伴う船舶や油タンクからの大量の油の流出による大規模火災で大部分が焼失したこの地で、いま新たなまちの再生に向け、人々が力を合わせ動き出している。
鹿折の水産加工施設が集まる地域の一角に、今年「気仙沼鹿折加工協同組合」の事務所が完成した。気仙沼といえば、沖合に黒潮と親潮が出合う世界三大漁場と呼ばれる豊かな海を抱え、サンマやカツオをはじめ全国有数の水揚げを誇る港が有名。豊富な漁業資源をもとに古くから水産加工業が発展してきたが、加工施設は震災で壊滅した。その後、19の水産加工業社が集まり、気仙沼鹿折加工協同組合が誕生したのは2012(平成24)年。独立独歩だった各社に組合への参加を呼びかけたのは川村賢壽(けんじゅ)理事長だ。
「自社だけでの復活の難しさ、協力し合わなければ生き残れないことをみんな感じていたと思います」
組合を組織するメリットは「コストダウンとブランディング」であり、「1社ずつで動くより効果的で効率的」と川村理事長は説明する。
「冷蔵庫などを共同利用することでコストを抑え、組合の統一ブランドをつくることで、販路を確保、拡大できます」
実際、気仙沼鹿折の水産加工の技術、商品の種類の豊富さは世界に誇れるもの。バイヤーとの商談用に設けられたプレゼンテーションルームに並ぶのは、サンマの味噌煮や燻製から、サケやホッケのフレーク、ワカメや昆布の加工品にふかひれスープとバリエーション豊か! 引き合いも多い。
事務所の周辺では各社の工場建設も進行中で、販売所の併設などの構想も。鹿折の復興の先駆けとして期待が高まっている。
かもめ通り商店街が新たな地で再出発
2016(平成28)年夏に完成予定の鹿折災害公営住宅に合わせた動きも加速している。「かもめ通り商店街」もそのひとつ、新天地での開店準備に熱が入る。
震災前、31店舗で構成されていたかもめ通り商店街は、津波で全域が流出し、6店舗の経営者が亡くなられた。商店街の会長を務める「佐川写真館」の佐川眞一さんの自宅兼店舗も流され、その地には全長60メートルの「第十八共徳丸」が打ち上げられた。その大型漁船の映像はニュースで取り上げられたので記憶にある方も多いだろう。
店舗の再建など考えられず途方にくれた状況のなか、商店の人々がなんとか仮設商店街などで一歩踏み出したのは、手紙や電話で届く「再開を待っているから」というお客さんからの励ましや、仕事の依頼だったという。
「“商売している”のではなく、“商売させてもらっている”のだと震災を通して実感しました」
そう振り返る佐川会長は、新たに誕生するまちでも、地元の人、特に高齢者に優しい商店街が必要だと考え、再スタートを決意した。かつて商店街があった場所は災害危険区域に指定されたため、内陸部へ移転しての再出発。ただし、区画整備において、以前のように通りを挟んで向かい合う形態はかなわないことが判明。みんなで悩みながら相談し、中央に幅4メートル、長さ112メートルの通路をつくろうとしている。そうすれば一体感をもてるし、高齢者も親子連れも安心して歩けるだろう。
それぞれが資金調達や高齢化、卸先の廃業や跡継ぎ問題など、いくつもの悩みや不安を抱えている。それでも、「何十年もなじみの人たちと一緒だから心強い。何かあれば手伝うからと言ってくれるから安心」と長谷川海苔店の長谷川行則・智子さん夫妻は言う。
「人手が足りないと苦手なこともやらなければいけないけれど、人が集まれば得意分野で貢献できる。悩みや心配も2人いれば半分に、3人なら3分の1になるからね」
佐川会長の言葉に、かもめ通り商店街の魅力、温かさが表れている。物心両面でサポートしてくれる商店街の再出発が待ち望まれる。
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