【復興の「今」を見に来て!第21回Part2】宮城県南三陸町

祈りの公園が完成
まちに回遊性が生まれにぎわい創出に期待
震災前、志津川(しづがわ)地区を流れる八幡(はちまん)川に架かる中橋では、のんびりと釣り糸を垂らすまちの人の姿がよく見られたという。中橋を渡ると南三陸町役場があり、周辺には役場の人たち行きつけの飲食店も並んでいた。中橋周辺は南三陸町の中心市街地としてにぎわっていた場所だ。
震災から9年7カ月たった2020(令和2)年10月12日、津波で大きな被害を受けたこの一帯に、「南三陸町震災復興祈念公園」と、公園につながる橋「中橋」が完成。記念式典が行われた。

犠牲者を追悼する祈りの場が完成
式典で佐藤 仁町長は「まず住宅再建、生業の再建を最優先で進めてきました。9年7カ月を経て、やっと亡くなった方々に手を合わせる場所をつくることができました」と感慨深い表情で語った。
「ここは『追悼・継承・感謝、そして未来を想像する協働の場』。犠牲者を悼み、震災の記憶と教訓を風化させることなく次代につなぎ、支援してくださった皆さまへの感謝と、これからの未来を想像する場にしたいのです」

43名の犠牲者を出した旧防災対策庁舎は令和13年までは県有化され、震災遺構としての保存の是非を検討することになっており、その前には献花台が設けられている。
その奥には円錐状の祈りの丘が造られ、海を見渡すその頂には、犠牲になった町民の名簿を安置する石碑が設置されている。震災を学ぶ修学旅行生や地元の人々が訪れ、静かに手を合わせる姿が見られるという。


一足早く復興した「南三陸さんさん商店街」から、新しくなった中橋を渡り、この公園へとつながる動線が生まれた。中橋は世界的な建築家・隈 研吾さんのデザイン。震災前にあった木造橋を思い起こさせる木製のダブルデッキの太鼓橋で、祈りの空間につながる聖なる橋に仕上がっている。


商店街の隣接地には震災伝承施設や道の駅、海辺のひろばが造られる計画で、「まちに回遊性が生まれ、海を見ながら歩きたくなる、ウォーカブルなまちになるでしょう。そこからにぎわいが生まれることを期待しています」と、震災復興祈念公園事業を担当したURの野呂祐介は語る。
南三陸町最後の事業
今後の復興に期待
URは震災直後から南三陸町の要請を受け、町とともに志津川地区で復興事業全体を推進してきた。計画から工事まで、包括的に整備を行い、これまでに手掛けた災害公営住宅5地区18棟では、すでに被災した人々の新しい暮らしが始まっている。URにとって志津川地区での最後の復興事業が、この震災復興祈念公園だった。
「工事にはスピードが求められるなか、公園の建設と同時に、隣接する国道の迂回工事や県道、中橋、河川などの整備を並行して進めなければならず、その調整が難しかったですね」と野呂は振り返る。
関係機関が毎月集まって、情報共有しながら綿密に工程を調整。互いが納得できる着地点を見いだし、ときには仲間として協力しながらスピーディーに事業を進めた。
「私はアンカーとして3年間担当しましたが、前任者たちの復興への熱い思いや、培ってきた関係機関との信頼関係のおかげで、期日通りに公園を開園することができました。ほっとしています」と野呂は話す。
「URが手掛ける工事はこれで終了しますが、復興はまだ終わっていません。今年は震災から10年の節目。節目というと、復興にも区切りがついたととらえられがちですが、この地にいると、復興には節目はなく、日々続いていると感じます。私はこの地を離れても、これからの町の発展を見守っていきたい。そして、たくさんの人々にこの地を訪れてほしいと願っています」


【武田ちよこ=文、菅野健児=撮影】
- LINEで送る(別ウィンドウで開きます)
復興の「今」を見に来て!バックナンバー
UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]
UR都市機構の情報誌[ユーアールプレス]の定期購読は無料です。
冊子は、URの営業センター、賃貸ショップ、本社、支社の窓口などで配布しています。