街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(27)ダンサー・振付家 TAKAHIRO

URPRESS 2021 vol.64 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


ニューヨークのアポロシアターのTVコンテストで史上初の9大会連続優勝を果たし、マドンナのワールドツアーの専属ダンサーも務めたTAKAHIROさん。
近年は櫻坂46や日向坂46などの振付けでも注目を集めています。
自分に自信がもてない内気な少年が、ダンスに出会うことで大きく変わった——。
今も情熱が冷めないダンスの魅力をたっぷり語ってもらいました。

TAKAHIRO
ダンサー、振付家。1981年、東京生まれ。18歳でダンスを始め、23歳で渡米。「NY APOLLO Amateur Night TV Show」に出場。史上最高記録となる9大会連続優勝を達成し、米国プロデビュー。2007年Newsweek「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。2009年マドンナワールドツアーに参加。大阪世界陸上開会式などのイベントをはじめ、映画、ミュージカル、また櫻坂46、矢沢永吉などさまざまなアーティストの振付けを担当。振付けを担当した日向坂46の「青春の馬」で2020年「MTVビデオ・ミュージック・アワード・ジャパン」の最優秀振付け賞を受賞。ダンス教育にも力を注いでいる。

ダンスを始めたのは18歳のとき。
最初のきっかけは何だったのでしょうか?

もともと僕は、部屋の隅でひとりでラジオドラマを聴いているような目立たない少年でした。足も速くないし、水泳も得意ではなく、コンプレックスもありました。そんな少年が18歳のとき、テレビで風見しんごさんの「涙のtake a chance」を見て、大きな衝撃を受けたんです。体ひとつで回ったり、バク転したり、まるで忍者や魔法使いのように見えたんです。

試しにテレビの前でターンしてみたら、全然回れない。もし僕が彼みたいに背中でぐるぐる回れたら、きっと世界が変わるんじゃないか。そう思って、大学でダンスサークルに入り、ひたすらその技だけを練習しました。背中には水ぶくれができたり、怪我で歩けなくなったりもしましたが、1年ほどたったある日、1周クルッと回れたんです。それはもう、すさまじい感動でした。今まで何をやってもダメだった自分が、やったらできた。これは何だってできるのではないかって。遅れてきた自我の目覚めのような感じでした。

そうしてダンスに夢中になっているうちに就職期を迎えたのですが、人生で初めて没頭できたダンスを捨てることができなかったんです。ダメもとで、世界一の大会に1回だけ挑戦しよう。本当に好きになったものだからこそ、おじいさんになったときに人に笑って話せるような思い出にしたいと思ったんです。

それでアメリカに単身で渡り、マイケルジャクソンやスティービーワンダーを生んだ「アポロシアター」のコンテスト番組「アマチュアナイト」に出場。2006年に史上最高記録となる9大会連続優勝を達成し、マドンナのワールドツアー専属ダンサーに抜擢されるなど、大きな飛躍をとげました。

その頃は、人生のひとつの波に乗ったというか、こうなったらいいなと想像した以上のことが次々と実現した時期でした。最初の頃は、アジア人だからと馬鹿にされたり、街でボコボコに殴られて救急車で運ばれたり、マドンナのオーディションでは厳しい競争でホテルで泣いたり、悔しい思いもたくさんしました。

アポロシアターで優勝したときは、自分の実力よりも得てしまった看板のほうが大きいことに気づき、プレッシャーで逃げ出したくなりました。でも、舞台裏で僕に負けたダンサーから「頑張れよ」と手を握られて。いつか彼らが僕と戦ったことを自慢してくれるようなダンサーになりたい、というのが目標になったんです。

それから5、6年、自分が一番ノッていた頃、東日本大震災が起きました。今、日本に帰らないと、一番いいときの自分を家族やいろいろな人に見せられなくなると思って帰国し、今につながっています。

最近は、ご自身のパフォーマンスだけでなく、櫻坂46やその前身の欅坂46などの振付けで活躍しています。

櫻坂46では、1stシングル「Nobody`s fault」の振付けを担当しました。大人になる前の多感な少女だった欅坂46からひとつ成長した女性の姿を描いた曲が多く、そこから自然に浮かび上がってきた形を振付けとして表現しました。

振付けに際しては、歌とそれを表現するメンバーのパーソナルを意識し、そして彼女たちが伝えたいことを、どう色づけすれば見る人に伝わるかを考えます。たとえば「雨」という歌詞があったとします。それは単に降る雨ではなく、雨の香りや色、あるいは心情が込められているかもしれない。そうした目に見えない感情や感覚を可視化して、見る人、聞いている人に伝えるのが振付けだと考えています。

それだけに、同じ曲でもセンターの子が変われば、その子の持っているバックボーン、曲への印象、メンバーと織りなすストーリーなども加味して振付けを変えますし、またどのようなシチュエーションで踊るかによって全く違うものに作り変えることもある。振付けは、まさに生き物です。

ダンスのレッスンをするTAKAHIROさん。
欅坂46から改名し2020年に新たなスタートを切った櫻坂46の1stシングル「sakura zaka46_Nobody's fault」の振付けも担当した。
ⒸSeed & Flower LLC.

現在、中学校ではダンスが必修になっています。教育の場でのダンスの意味とは何でしょう?

ダンスは、書店ではスポーツと芸術の本棚に並んでいる、2つの側面を持つカルチャーです。ダンスをすると、さまざまな能力が磨かれます。体を動かすスポーツ的センス、自分で考え、発想力やオリジナリティを磨く芸術的センス、リズムをとる音楽的センス、相手や隣の人と合わせる協調性やコミュニケーション能力、それに社会的スキルも磨かれる。ダンスは教育として、非常に有意義だと思います。

ダンスに対して苦手意識をもっている人が、上達するコツはありますか?

初めは誰でもヘタなんです。僕だって最初は1周ターンして転んだんですから。最初から自分の理想を高く持ちすぎていると、届かないと思ってしまう。でも、小さな階段でも1段ずつ上がり続けていくことが大事です。多くの人は途中で止めてしまいますから、続けていれば、いつか追い抜くことができる。人と比べず、自分の階段を積み重ねていくことが大切だと思います。

そして、一番シンプルなダンスは、「歩くこと」。体が覚えている最初のリズムは心臓の鼓動、呼吸、そこから立ち上がって歩行、というこの3つです。その誰もが持っているギフトから、ワクワク感、躍動感が生まれるのです。年齢を問わず、ぜひ好きな曲を聴きながら、好きな街を歩くことから始めてほしいですね。

これからやってみたいこと、夢はありますか?

使命的な夢としては、若いダンサーが未来に活躍できる場所があるように、日本でダンサーの可能性を広げていきたいです。歌手を語るように、ダンサーの名前が語られる世の中になるよう、僕にできることをやっていきたいと思っています。

個人的には、今までの経験を活かして、世界の人を驚かせるような作品を作りたい。そのときのために、プロデュースや振付け、舞台演出に作詞や作曲も含め、これからも視野を広げていきたいです。

また、いつか自分の憧れの場所に住みたい、というのも夢のひとつです。僕の大切な記憶には場所が必ず付随しています。亡くなった父と一緒に行った海、マドンナのオーディションで一番ドキドキしたスタジオの風景、そして小学校6年生まで暮らしたマンションの部屋……。今は別の人が住んでいますが、いつか住みたくて、売りに出ないかと時々ネットで見ています。大切な記憶は、どれも場所に保管されています。どんな場所で育った人もきっとそうだと思うのです。建物は変わっても、樹木とかベンチとか、記憶のよすがとなるものが何かしら残っているといいですよね。

これまでダンスを続けてきたモチベーションは何でしょう?

ダンスを始めて20年。ずっと続けてきたのは、ダンスが好き、という気持ちがあるから。ダンスを踊っていると、生きていることを実感します。これまで、ダンスから振付け、舞台演出、教育と、自分がウキウキすることを探し続けてきました。これからも、時間とともに変化していく自分の体と向き合いながら、新しいダンスという表現を見つけるために、ずっと冒険を続けていきたいです。

【ヘアメイク=佐鳥麻子】
【スタイリング=作山直紀】

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