街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(28)シンガー・ソングライター さだまさし

URPRESS 2021 vol.65 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


「音楽の力を信じ 仲間と共に支援活動を 続けていく」の画像

シンガー・ソングライター、小説家、「風に立つライオン基金」の理事……と
いくつもの顔をもつ、さだまさしさん。
多忙な中で続けてきたのが東日本大震災をはじめとする災害や医療の支援です。
昨年は仲間と共に介護や福祉施設への支援も行いました。
一方で、セルフカバーアルバムを制作し、コンサートを開催するなど、
音楽の灯を守るための活動も続けています。

さだ・まさし
長崎市出身。シンガー・ソングライター、小説家。1973年フォークデュオ・グレープとしてデビュー。1976年ソロ・シンガーとして活動を開始。「関白宣言」「北の国から」など数々のヒット曲を生み出す。
通算4,450回を超えるコンサートのかたわら、小説家としても『解夏』『風に立つライオン』などを発表。多くの作品が映画化、テレビドラマ化されている。
2015年、一般財団法人 風に立つライオン基金を設立(2017年に公益法人として認定)。さまざまな助成事業や被災地支援事業を行う。最新刊は、コロナ禍での思いや活動を記録した、『緊急事態宣言の夜に』(幻冬舎)。6月から全国コンサートツアーを予定している。

東日本大震災発生後、いち早く現地に赴き、ボランティアやチャリティーコンサートを行ってこられました。その原動力は何だったのでしょうか。

震災後、初めて東北に行ったのは2011年5月1日。石巻でした。40年来の友人である笑福亭鶴瓶に誘われ、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の緊急ロケに同行させてもらったのです。音楽家が行っても何の役にも立たないのはわかっていたので、行くのはちょっと怖かった。目立たずに必要なときに取り出せる二つ折りになるギターを背負って行きました。

避難所の寺院で、テレビカメラがいなくなった後、僕と年が変わらない男性が、僕の手を握りしめてボロボロ泣くのです。「おふくろも孫2人も(津波に)持っていかれた。かみさんの車は見つかったけど、かみさんは見つかってない」って。この人の痛みは僕には絶対理解することはできないけれど、一緒に泣くことはできるかもしれないと思いました。

それからは、休みの日には東北へ行こうと自分に誓い、ギターを担いで、岩手、宮城、福島へ、「行っていいですか? 邪魔になりませんか? さだまさしの歌を聴きたい人がいますか?」と連絡し、各地の避難所を廻りました。

「自分に何ができるのか」と自問しながらの活動でしたが、被災地で僕の歌を聴いている方々の写真を見たときに、皆さん笑顔だったのです。「この瞬間は、元気が出たのかな」と思うと、少し心がほぐれる気がしました。家族を亡くし、財産をなくし、家をなくした人たちが、僕と一緒に大きな声で歌ってくださる姿を見ると、音楽ってもしかしたら無力ではないかもしれない。微力だけれどゼロではないんだ、と勇気をもらいました。それからは、メディアの目が届きにくい小さな避難所に積極的に出かけて、必要なことを聞いて、送れるものは送り、落ち着いたらギターを持って歌いに行くことを続けてきました。

大船渡
東日本大震災後、被災地へ通い続けているさださん。
学校の教室や体育館、屋外、いろいろな場で歌い、現地の人たちを励ましている。
陸前高田

震災発生から10年を迎えました。今、どんなお気持ちでしょうか。

僕はここからだと思っています。震災からの復旧では、安心して住める家と、津波が来たときに逃げる道路、高台の避難所をつくることが重要でした。そして、これからがいよいよ復興。復興は、前よりもよくしなければならない。道のりはまだまだ長いと思っています。

気仙沼で、ヘドロの中を歩きながら「絶対生きて家に帰って、さだまさしの曲を聞こう」と思って頑張ったという女性に会いました。そんな話を聞くと、「この人が求めているのは、現実の『佐田雅志』でなく、架空の『さだまさし』なのだろう。でも、それだけの力を持っているなら、今が『さだまさし』の使いどきだ」と。僕の力は微々たるものだけど、「さだまさし」を使って、支援を続けていきたいですね。

さだまさしさんの画像

2015年に「風に立つライオン基金」を設立。僻地医療や大規模災害支援をされています。

休みごとに全国の被災地へ行き続けていた僕を見て、仲間が「機能的でないから、組織をつくったほうがいい」とアドバイスしてくれたのです。財団名の「風に立つライオン」は、ナイロビの医療発展に尽力した柴田紘一郎医師の活動に感銘してつくった曲のタイトル。財団名にするのは面はゆかったのですが、この曲は日の丸を背負って海外で働く医療関係者や商社マン、JICA(国際協力機構)や青年海外協力隊員などのテーマソングになっているという仲間の声に押されました。

海外で頑張っているお医者さんや看護師さん、教育者をそっと支援するための小さな基金のつもりでしたが、財団を立ち上げてすぐに茨城県常総市での水害、その後、熊本地震が起きて自然災害への対応も始まりました。皆さんからの寄付で成り立っている小さな財団なので、災害現場を仕切るようなことは不可能で、ボランティア団体と連携して、彼らを支援しています。たとえば現地で備蓄物資を使って炊き出しをする団体に、事後に補填物資を送る。その場合、現地にあるものは現地で購入して、経済を回す。落ち着いた頃には「さだまさし」を使って、ライブをやる。そんな活動を続けてきた後、新型コロナウイルス感染症の流行が起きました。

コロナ禍では、どのような活動をなさっているのでしょうか。

昨年4月、都内の病院に勤務する財団理事の親戚から、医療現場でマスクが不足していると聞きました。すぐにマスク3万枚、防護用エプロン1万着などを集めて、100カ所を超える病院や福祉施設へ送りました。

5月からは福祉施設に財団から医師や看護師を派遣し、あるいはリモートで、感染防止のための勉強会を始めました。医療崩壊の次に怖いのが、福祉崩壊だからです。長崎の名物料理「チャンポン」にちなみ、「ふんわりチャンポン大作戦」と名付けました。同時に、組織を超えて人をつなぐ人材をチャンポン大使に任命。財団を通じて、関係者をつなぐプラットフォームづくりをしています。

当初は年末までの活動予定でしたが、年が明けて再度緊急事態宣言が出されて……。ふとまわりを見ると、福祉施設の人たちはへとへとで、医療施設の人たちは伸びきったゴムみたいにくたびれている。これは何かしなくてはと、財団を応援してくれている「猿田彦珈琲」のコーヒーと「浅田飴」の飴を「お疲れさま」の気持ちを込めて現場にお配りしました。

いずれも僕が直接動くわけではなく、基金の評議員でもある鎌田實先生(諏訪中央病院名誉院長)や僕がパスを出すと、支援が必要な場所に誰かが行って、動いてくれる。まるで映画「アベンジャーズ」のように、感染症や福祉の専門家がどんどん集まって応援してくれています。

多くの活動を通じて学んだのは、支援には、まず緊急手当をする、次に行動的なお手伝いをする、さらに働いている人たちの心のケアをするという段階があることです。これからは冷静に現状を見て、僕たちがすべきことを考え、着実に続けていきたいですね。

さだまさしさんの画像

昨年は感染拡大防止のため、コンサートが中止や延期になるなど、音楽活動にも大きな影響がでました。

昨年は2月半ばから7月までまったくコンサート活動ができませんでした。そこで、半ば開き直って、その間にアルバムをつくりました。映画やドラマの主題歌、コマーシャルなどで使われた曲を集め、歌でおなかいっぱいになってもらいたいと「さだ丼」と名付けました。9月からはコンサートを再開。基金に協力してくださっている感染症の専門医から指導やアドバイスを受け、最大限の防御策を講じて。おかげさまで2月まで41公演、1人の感染の報告もなく乗り越えられました。

4月にリリースされたセルフカバーアルバム「さだ丼~新自分風土記Ⅲ~」。「奇跡2021」をはじめ数々の代表曲に加え、AC JAPAN CMソング「にゃんぱく宣言」も収録。
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今年6月からはいよいよ新しいコンサートツアーが始まります。会場への動員数が減りますと興行的には厳しいですが、どうにかして音楽の灯を守りたい。なかなかCDを買ってもらえず、コンサートもできない今、音楽家は非常に苦しい状況に置かれています。それでも、クオリティを下げず、今できる最高のものをやる。意地のような気持ちですが、きっと後になって頑張った意味がわかる日がくるだろう、と思っています。

【阿部民子=構成、菅野健児=撮影】

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