街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(32)モデル・女優 知花くらら

URPRESS 2022 vol.69 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


建築は思いを伝える手紙 人が暮らす空間に魅かれます

モデルやリポーターとして、またWFP(国連世界食糧計画)日本親善大使としても活動する知花くららさん。
民藝や短歌にも関心が高く、最近は子育てしながら大学で建築を学ぶなど八面六臂の活躍です。
世界各地を訪ねるなかで、また受け継いだ沖縄の家の改修について考えながら
改めて「人が暮らす空間」に興味があることに気づいたと語ります。

モデル・女優、知花くららさんの写真ちばな・くらら
1982年生まれ、沖縄県出身。上智大学卒業。2006年ミス・ユニバース世界大会で準優勝。モデルやリポーターなど幅広く活躍。2007年WFP(国際連合世界食糧計画)オフィシャルサポーター、2013年WFP日本親善大使に就任。2019年に歌集『はじまりは、恋』を刊行。2021年に京都芸術大学(建築デザイン専攻)卒業。2児の母。公式インスタグラム(@chibanakurara.official)

都心から海辺に引っ越されたそうですが、その理由は何ですか。また生活は変わりましたか。

子育てを伸び伸びした環境でしたいと、次女の出産を機に夫と相談して決めました。2人とも船舶免許をもつほど海が好きで、また親戚が住んでいるなど、ご縁が重なりました。家の一辺が海に面しているところがとても気に入っています。私は沖縄出身なので、波の音が聞こえると体の真ん中がほどけていくような感じがします。海辺は生活に余白があり、余白は豊かさで、心の余裕をもたらしてくれると感じています。

都内のマンションに住んでいたときは、子どもがドタバタしたり大声を出したりすると「下の階の人に迷惑がかかるからダメ」と言ってました。でも今の家では、子どもが大声を出しても「どうぞ!海に向かって」と(笑)。私のストレスも減りました。怒るってストレスがかかりますから。

仕事がオフの日は海を眺めながら、ゆっくり朝ごはんを食べて、浜辺を裸足で散歩して。都会ではかなわないことができてハッピーに暮らしています。

昨年、京都芸術大学を卒業されました。建築デザインの勉強をしようと思ったきっかけは、どんなことでしょうか。

建築はもともと興味がある分野でしたが、根っからの文系なので大学受験のときは建築学科は選択肢に入れず、文学部教育学科に進みました。その後、仕事でマサイ族の村をはじめ世界各地を旅して、現地の方の住居を見て、風土を感じて。自分は「人が暮らす空間」に興味があるのだと気づいたのです。国連の活動でシリアの難民キャンプを訪ねてシェルターをつくる機会もあり、建築を学んだらもっと違う視点で見えるものがあるのではとも思いました。

そして最も大きな理由は、沖縄の慶留間(げるま)島にある祖父の家と土地を受け継いだことです。100年ほど経っている、沖縄の昔ながらの間取りの家です。

島の人には「建て直したらいいさ」と言われますが、私は土地の匂いのするものが好き。建物は土地を反映していますから、更地にはしたくなかった。祖父と一緒に初めてその家を見たときは、「ここに爆弾が落ちてね」と戦争の恐ろしい話を聞きました。歴史を見てきた土地ですから、後世の人たちにも考えたり、感じたりしてもらいたいです。建築は100年も200年も残っていくもの。こういう思いでつくったんだよって、今を生きる世代からの手紙のようなものだと思います。窓の向き、土地の高低差、材料などを考えながら、丁寧に修復して残して、未来への橋渡しができればと思っています。

大学の卒業制作では、つわりに苦しみながらも模型づくりに励んだ。

建築を学ばれてから建物に対しての考え方は変わりましたか。

頭の中で壁を外して、建物をスケルトンにして見るようになりました。建築は大きなものに向かっているようで、0・5ミリの線や点を打つ世界です。そういう細部に美が宿るところが面白いと気づきました。

建築家とお話する機会も増え、皆さん自分の言葉をもっていらして、まさに建築は哲学だなあと。建築は理系だけど、文系の要素がすごくあるとも思いました。建築は人ありき。私は人がどうやって暮らしているかに興味があるのだと改めて感じました。

知花くららさんの写真

卒業まで大変だったことは何ですか?

すべてが大変でした(笑)。社会人の通信制なので独学に近いのですが、課題のボリュームがどれも大きくて、不安のまま進むしかなくて。仕事のペースがゆっくりになる妊娠中から産後を勉強する時期に選んだのですが、ほんとうに大変で。卒業制作は2人目のつわりの真っ最中。気持ち悪くて横になりながらボンドで柱を立てて。夢中になって模型をつくっていたら朝日が昇ってきて、長女が起きて、授乳して——そういう日々でした。

在学中は落ちこぼれすぎて、何度も心の挫折、いえ、心の骨折をしました(笑)。他の人が引っかからないところに引っかかって進めないんです。例えば「祈りの空間をつくりなさい」という課題が出ると、「何に祈るの? 宗教は? 土地は?どこにあるの?」って気になってしまって。そうした課題一つひとつ、外部と内部をどうつなげていくのか。自然とどういうふうに接すると境目がなくなっていくのかなど、結局、自分のテーマに引きつけて考えながら取り組みました。

東日本大震災の原発事故で不安を抱く親子の助けになりたいと、震災の翌年から慶留間島で「げるまキャンプ」を7回開催されました。いかがでしたか。

「げるまキャンプ」は東日本大震災の直後、福島で子育てしているお母さんたちの「子どもたちを遊ばせる場所がない」という声を聞いたのがきっかけです。除染もほとんどされていないときで、お母さんたちは不安で泣いていらして。それなら、自然いっぱいで伸び伸び遊べる慶留間島の海に、子どもたちを連れて行きたいと思いました。

1回目のキャンプ初日、慶留間島に着いて、海に遊びに行ったのは日が暮れる前でした。浜辺で5歳ぐらいの女の子がお母さんの手を引っ張って、「ママ、この海、入っていいの?」って聞いていました。お母さんが、「いいよ、行っておいで!」って、パーンってお尻叩いて。子どもたちが服のまま海に飛び込んで行く姿を見ていたら、私、泣けてきて。

1週間のキャンプを終える頃には、みんな真っ黒に日焼けして、アンパンマンみたいな頬っぺたになって。「楽しかった!」って福島に親子が戻るのを見て、何もないところからの立ち上げは大変でしたが、開催できてよかったと思いました。

福島の子どもたちを慶留間島に招いて行った「げるまキャンプ」(写真は2013年)。

島の方々の協力が必要だと思いますが、どのようになさったのですか。

子どもたちが主役のキャンプなので、地元の子どもたちにわかってもらいたくて、声をかけて一緒に遊んでほしいこと、エイサーをやるので沖縄の踊りを教えてほしいことなど、できるだけ直接説明する機会をつくってもらうように、地元の方にお願いしました。また島の方々にモチベーションをどうもってもらうか、コミュニケーションが大事で、毎回、丁寧に紡いでいく必要があると実感しました。

知花くららさんの写真

それは地域のコミュニティーにもつながることだと思います。心地よいコミュニティーづくりに必要なことはどんなことでしょうか。

コミュニケーションを丁寧に進めないと、どこかで破綻がくると思います。まったく新しいものは根づかないでしょうから、その地域の人々の声を聞きながら、どの方向に進むかが大切だと思います。アイデアは外の人からでもいいと思いますが、その地の人々の暮らしがどうすれば豊かになるかをしっかり考え、今ある大事なものをどう守っていくかが重要だと思います。

私は海辺に移住したての頃、周りの人を知らないこともあり疎外感と孤独を感じていました。知り合いを通じて、近所の方をご紹介いただいてネットワークが広がったことで、今はコミュニティーのなかで安心して暮らしています。やっぱり大事なのは人とのつながりだと感じています。

【小西恵美子=文、青木 登=撮影、ヘアメイク=脇坂美穂、スタイリスト=山本隆司(style3)】

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