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角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(20) 「年長者の友だち」

URPRESS 2022 vol.69 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


イメージ写真photo・T.Tetsuya

もの書きとして仕事をはじめてから十数年、周囲の人はみんな自分よりだいぶ大人だった。編集者たちはみんな年上で、編集長や先輩作家ははるか年上。そして私は年長者と話すのが大の苦手だった。はるか年上の大先輩たちと対等にやりとりできる知識も教養も経験もなく、だから話すこともないと思っていたし、こいつは馬鹿だと思われたくない、という気持ちもあった。

全員ではないが、そのはるか年上の何人かは、どういうわけか目をかけてくれ、飲みの席や温泉旅行によく誘ってくれ、かくちゃんかくちゃんと友だちのように気軽に接してくれた。私はそんな彼らが心の底から大好きで、もっと話したいと思うのだが、やはり緊張と遠慮があって話せない。こんなに話さない私と飲んでいても退屈ではないのかと、我ながら不安だった。

気がつけば、今や編集者たちは全員が年下、ときには編集長すら年下、同業者の多くも年下である。じつは、そのことに私はなかなか気づかなかった。いや、事象としては気づいていても、その自覚があんまりなかった。

十年近く前のことになるけれど、初対面の編集者に、打ち合わせをしたいと言われて会った。喫茶店で向き合い、彼女はメールに書いてあるのと同じ依頼内容を告げると、押し黙った。彼女が何も言わないので私も話すことがなく、黙って座っていた。元来私は人見知りがたいへんに激しい。何も話さないまま三十分くらいが過ぎて、「では」と彼女が立ち上がったときはほっとした。

その数か月後、ふいに私ははっとした。あのときの初対面の編集の人、私が年上すぎて、何も話せなかったのではないか? その編集者が非常に若かったことを思い出し、ようやくこのとき私は、自分が「年長者」の部類に入っていることに気づいたのである。若かりし自分がずっと苦手で、話すことのできなかった「年長者」。

そのときよりさらに年齢を重ねて、あらたにわかったのは、年長者には年長である自覚がない、ということだ。かつて私にしたしく接してくれた年長者たちは、年の隔たりなんてさほど感じていなくて、ただ、この小説がおもしろかったとかこの映画がつまらなかったとか、あるいは昨今の社会状況とか、もっと卑近な恋愛話とか、話したかったんじゃないか。対等だとか知識の有無とかそんなこととはまったく関係なく、ただただ、言い合っていたかっただけなんじゃないか。

そう気づいたとき、勝手に遠慮して黙りこんでいたことが、後悔してもしきれないくらい悔やまれた。なんでもっと話さなかったんだろう、なんでもっと突っこんで質問しなかったんだろう。どれほど深く後悔しても、年長者の友人たちのほとんどが、もう会えない場所にいってしまった。

人に会うことがはばかられるコロナ禍だから、こんな悔いも、かえって強まるのかもしれない。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『タラント』(中央公論新社)。

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