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角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(27) ひさしぶりの町に会う

URPRESS 2024 vol.76 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


早朝のランニングの様子photo・T.Tetsuya

パンデミックのあいだ、まったくなかった出張仕事が戻ってきた。出張仕事というのは私の場合、雑誌記事のための取材、図書館での公開対談、ブックフェアでの公開対談やサイン会、などである。

はじめていく場所も多いが、何度もいく町もある。たとえば博多や京都は、仕事の内容がちがってもいく機会が多い。また、イベントが恒例となっていて、毎年訪れていた場所もある。

しかしながら、私はそれらの町を観光したことがない。仕事をして、終えて、食事をして、翌朝、同じ町か近隣でべつの仕事があればそれをして、帰る。駅から仕事をする場所、仕事をする場所から食事場所、食事場所からホテルの移動のみ。この移動のなかで、ときたま、有名な神社や市場を通りかかって、ちらりと見たり、一瞬足を踏み入れたりすることができれば、ものすごくラッキー、という感じだ。だからたいてい、その町のことを何も知らずに帰ってくる。何度もいっていながら、名所や史跡にはいったことがない。

そういう町々を、私は早朝のランニングでのみ、記憶している。

他県でそのような仕事があるのはたいてい週末で、毎週末は走るのが私の習慣なので、出張にはランウェアとシューズを持っていく。仕事をした翌朝、移動前に起きて、その町を走る。観光名所や史跡があれば、地図をなんとなく記憶し、そこを目指して走る。朝が早すぎて店も市場も、博物館や資料館も、ときには神社仏閣も閉まっていることがあるが、それでもその周辺を目指し、ほとんどひとけのない観光スポットを外側から眺めて帰ってくる。

ゆっくり歩いて眺めたり、なかに入ってじっくり見たり、何か食べたり買ったりするわけではなくて、ただぐるりと走って見るだけだし、ときに迷って、目的地とまったく違う町並みを見て帰ってくることもあるのだが、どういうわけか、その光景は非常に強く心に残る。たぶん、ひとけのない早朝の町と、小銭しか持っていないランウェアの私、というかかわりが、あまりにも個人的なせいだと思う。そこに目的はなく、目的がないから期待も失望もない。ただ朝の町と私だけが在る。

このあいだ、三年ぶりに仙台にいって、泊まった翌朝も走った。三年前までは、十年近く、毎年同じ仕事で同じ時期に訪れて、こうして朝、走っていた。だから地図を見ずともだいじょうぶだろうと、城跡方面を目指して走ったのだが、いくら走れども城跡がない。そのうちまったく記憶にない住宅街に出て、焦って町の地図を確認したが、自分がどこにいるのかもうわからない。とにかく川だ、川沿いにいけばお城はある、と広瀬川を目指して走った。

川に出て走るうち、なんとなく周囲の空気が変わったから、ああお城が近いと思ったが、あらわれたのはお城ではなくて瑞鳳殿という立派な何かである。時間が足りなくて、長い石段を上がることもできなかったが、何をどうやって間違えてここにきたのか、皆目わからない。

でもきっとここに至る道も、驚くくらいなつかしい光景になる。ただ、ふたたびいこうと思って地図を持たずに走り出しても、ただしくそこにいき着けるか、自信がない。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。2月末に『方舟を燃やす』(新潮社)が刊行予定。

かくた・みつよさんの写真
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