【URのまちづくり最前線 第28回】城内地区防災公園街区整備事業(福岡県福岡市)
福岡城跡に県民・市民を守る 広大な空間を創出
福岡の人々に愛されている舞鶴公園の東端にあった裁判所が移転し、生まれた跡地をURが整備。大規模災害発生時に自在に活用できる、オープンスペースが誕生した。
大学跡地と一体で整備を進める
1607年、黒田長政によって築かれた福岡城は、鶴が羽ばたく姿に似ていることから「舞鶴城」とも呼ばれてきた。東西約1キロ、南北約700メートルに及ぶ広大な城郭の跡地には、現在、舞鶴公園、平和台陸上競技場、鴻臚館(こうろかん)広場や鴻臚館跡展示館などが整備され、市民に利用されている。下之橋御門、多聞櫓(たもんやぐら)など城にまつわる文化財も残されており、見どころも多い。城があった時代に入江を利用してつくられた大堀は、現在の大濠(おおほり)公園になっている。
今回紹介するのは、その舞鶴公園の東端の城内地区。福岡市の要請を受けて、URが防災公園街区整備事業を行い、昨年10月に開園したエリアだ。これは防災機能の強化を目的として、公園と市街地の整備を一体的に行う事業で、具体的には約300台収容可能な駐車場とテニスコートを整備し、大規模災害が発生したときの避難場所となる空間を創出した。
この事業の特徴は、URが福岡市内で行ってきた大学跡地の市街地整備事業と一体的に進められた点にある。
そのプロセスはこうだ。まず福岡市中央区にあった九州大学六本松キャンパスが、2009(平成21)年に移転した。そこで生まれた約6・5ヘクタールの跡地を活用し、URが地域拠点形成の実現に向けた市街地整備を実施。18年に「青陵の街・六本松」という新しいまちが誕生した。
このまちに複合商業施設や分譲マンション、有料老人ホームなどとともに、城内地区にあった福岡高等裁判所や弁護士会館、さらに舞鶴公園の近隣にあった家庭裁判所などの司法関係の施設を集約。移転後の高等裁判所などの跡地一帯をURが防災公園として整備した。
だが、防災公園といっても、ここにはマンホールトイレやかまどベンチなどの設備はない。
「ここの価値は、地上に何も置かれていない広々とした空間があることです。大規模災害発生時に緊急車両が入りやすい動線と空間を確保。フェンスで囲われたテニスコートは、救援物資の集積所に利用することも想定しています。公園の東側は福岡一の繁華街である天神に近く、天神方面から避難してくる人々の一時避難場所として利用できます」
この事業を担当したURの三棹(みさお)聖史がこう説明する。
今回整備した地区のすぐ近くには、大規模災害時に避難所として利用される市民センターや中央体育館、小中学校があり、これらと連携して市民の安全を守っていく。
「この地下には福岡城や鴻臚館にかかわる貴重な史跡が眠っているので、土地の整備をする前に、埋蔵文化財の調査に長い時間を要しました。整備が始まっても、文化財があるため地下深く掘ることができないという物理的な制限もありました。地下深く掘れないため、高い建物を建てることはできません。また、深く根を張る樹種を避けるなど、植栽にも気をつかいました」
もう一人の担当者、URの藤田 拓は、事業の苦労をそう振り返った。
セントラルパーク構想実現への大きな一歩
福岡市と福岡県では、大濠公園と舞鶴公園の一体的な活用を図る「セントラルパーク構想」が動き出している。この一帯を福岡県民、市民の憩いの場とするとともに、歴史、芸術文化、観光の発信拠点としていく長期の計画だ。福岡市公園部活用課長の小泉信雄さんに、その構想と今回のエリアの関係を伺った。
「舞鶴公園東側の城内地区は、天神側からの新たなエントランスであり、今回URさんによる整備が完了したことで、構想実現に向けた大きな一歩になりました。大きな駐車場が整備されたことで車でのアクセスがよくなり、福岡城址や鴻臚館広場に訪れやすくなりました。また、大規模災害が発生したときには、都心部にある貴重なオープンスペースとして活用していきます」
昨年10月には、お披露目を兼ねてUR主催の防災イベントを開催。防災グッズ作りや災害時の行動を学ぶカードゲームを、子どもも大人も楽しんだ。
イベントが行われた場所は、かつて福岡藩の家老屋敷が並んでいた所。「史跡を意識して舗装の色味にも配慮しました」とURの三棹。歴史ある城跡に、大勢の人々を守る新たな空間をつくる。これもURの大切な仕事だ。
【武田ちよこ=文、菅野健児=撮影】
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