街に、ルネッサンス UR都市機構

未来を照らす(36)クリエイティブディレクター 箭内道彦さん

URPRESS 2023 vol.73 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]

未来を照らすSpecial Interview Yanai Michihiko 「福島を一生支えますと約束して」

数々の話題の広告を手がけ、さらには「月刊 風とロック」発行人、
東京藝術大学教授、ギタリスト……と多彩な顔をもつ箭内道彦さん。
若い頃は嫌いだったという故郷・福島。東日本大震災と原発事故により、
故郷が混乱を極めるなか、発したのが「福島を一生支えます」というメッセージです。
約束をしたその日から、自身の人生が変わったと語ります。

クリエイティブディレクター 箭内道彦さんやない・みちひこ
1964年、福島県郡山市出身。東京藝術大学美術学部デザイン科卒。博報堂を経て、「風とロック」設立。主な仕事に、タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」キャンペーン、リクルートゼクシィ「Get Old with Me」「芸人30人、本気のプロポーズ」、サントリー「ほろよい」、グリコ「ビスコ」など。
LIVE福島ドキュメンタリー映画「あの日〜福島は生きている〜」発起人。「月刊 風とロック」発行人。風とロック LIVE福島 CARAVAN日本実行委員長、2011年NHK紅白歌合戦に出場した猪苗代湖ズのギタリストでもある。

東日本大震災から12年が経ちました。福島での活動を通して、今、どんなことを思いますか。

2011年3月11日から干支が一周しました。世の中では新型コロナの感染拡大や戦争、地震や洪水などの災害があちこちで起きています。福島県への民間の支援が少しずつ打ち切りになるのは仕方ないですし、人は忘れる生きものだけど、その寂しさを、今年初めて感じました。

一方で、この1年ほどで、自力で何かを始める人や、福島に惹かれて移住する若い人が増えていることに驚いています。新しい面白いことが起こりそうな予感と期待感があります。

東日本大震災後の12年から「風とロック CARAVAN日本」ツアーで、仲間たちと広島、長崎、沖縄、神戸を訪ねました。苦難を乗り越えてきた先輩方の話を聞き、ヒントをいただくことで、自分たちに今できることが明確になるのではと思ったのです。そのとき阪神・淡路大震災を経験した神戸のラジオ局のディレクターに「あれから何年って言われるのはしんどいよ」と言われました。一日一日を必死に暮らして前に進んでいるなかで、あれから何年と簡単に括られたくないという思い。そのときだけ思い出してもらえることの感謝を含めた寂しさなのでしょう。当時、その感覚はわかりませんでしたが、時間が経つにつれて、それを感じることが増えてきました。

とはいえ12年経ったことは確かですし、いろいろなことが落ち着いてきたタイミングともいえます。ほっとすると同時に、福島の復興は道半ばですので、落ち着いては困る部分もあります。時間が積もれば積もるほど、なかなか前に進まない苦しさが長引いているわけで、そのことを忘れてはいけない。光と影があります。

箭内道彦さんの画像

福島は、どんな存在でしょうか。

僕は若い頃、福島にモヤモヤした思いがありました。特に3浪していたこともあり、浪人時代はいろいろな人が「受験はやめちゃえ」と言ってくる。人に関わってくる県民性で、そのありがたみが、当時はまったく理解できませんでした。

07年に会津出身の山口隆(サンボマスター)と、「ままどおるズ」というユニットを結成。「福島には帰らない」という曲を作り、こんな色の髪の毛じゃ福島には帰れないと歌っていました。福島のことを嫌いだと言っていたら、「どういうふうに嫌いなのか、直接言いにきて」という依頼があり(笑)。行ってみると、「俺たちもそう思っている」と言われて、地元の人たちとの交流が始まりました。

09年に福島でロックイベントを始め、その後、バンド「猪苗代湖ズ」を結成して「アイラブユーベイビー福島」という曲を歌っていましたが、僕は胸を張って歌えていませんでした。近所の人の悪口を食卓の話題にしたり、出る杭は打たれるから目立たないようにしたり。そういう県民性が自分のなかにもあって。それを故郷のせいにしていたのですが、あるとき福山雅治さんに「悪いのは故郷のせいにする自分自身だよ」って言われて、目が覚めました。福山さんも、かつてできないことを故郷の長崎のせいにしていたけど、悪いのは自分の至らなさだと気づいたんだと、僕に諭してくれました。僕より5つくらい若いのに(笑)。

そんなことがあり、福島との関係が変わりつつあるときに、東日本大震災が起きました。

「風とロック芋煮会」猪苗代湖ズのステージ

福島の復興支援活動の原動力は何でしょうか。

一番は僕の故郷だからです。故郷ではないのに助けてくれる仲間がたくさんいて、頭が下がります。福島が嫌いだと言っていた人間が、故郷が大ケガをしたときに何もできないなんてダメすぎるだろうと思ったのが、活動の原動力です。

もう一つ直接的な原動力は、ラジオ番組のリスナーからの投稿です。震災後、ラジオが特別編成になり、僕の番組が休みになったとき、ラジオ局のSNSに「箭内さんは、ラジオが休みになったら何も発信しないのか?」と書かれ、恥ずかしくなって。自分から発信しなければと思わせてくれました。3月17日から「猪苗代湖ズ」の「I love you & I need you ふくしま」という曲のレコーディングを始め、すぐにCD化して。メディアで取り上げてもらえる仕組みを考えて、売り上げを全額福島に寄付しました。

箭内さんの気持ちが変わったのですね。

箭内道彦さんの画像

そうですね。福島のテレビ局から県民へのメッセージを求められたときには「福島を一生支えます」と言いました。原発事故がいつ収束するのか、家にいつ帰れるのか、放射線の影響はどうなのか。誰もわからず、何の約束もできないときだったので、何か約束しようと思いました。「僕は福島と結婚します」とまで言ったんです(笑)。僕はロックに助けられ、支えられ、勇気をもらって生きてきました。ロックは「明日なき世界」ですから、今に全力を注ぐ。明日死んでもかまわないと思いながらやってきた男に、一生支えると言われても説得力がない。廃炉を見届けるくらい長生きし、共に歩んでいきたいと思うようになり、僕の人生が大きく変わりました。

活動を続けるなかで、特に印象に残っていることは何ですか。

東日本大震災の半年後に福島で行った音楽フェスです。音楽は無力だ、不謹慎だと言われながらの課題の多い開催でしたが、半年間自宅の雨戸を閉めて洗濯物を外に干さずに生活していたり、避難所で大きな声で泣くこともできずにいた人たちが、大きな声で歌い、拳を振り上げて叫び、泣き、笑っている。それを見たときに、必要な場だと強く感じましたね。

そして時が経ってくると、福島に行くたびに、お酒や白菜の漬物などのお土産をたくさんいただくようになりました。お土産を両腕に抱えて新幹線の改札を通れないことが何度もありました。人は与えられることも大事だけど、与えることで元気になる、ということが身に染みてわかりました。ロックフェス「風とロック芋煮会」も続けていて、地元のミュージシャンも出演するようになりました。ライブ後に野球の試合をするのですが、お客さんが自らブラスバンドやチアリーディングのようなポンポン隊を組んで応援してくれたり。一緒に作り上げていくことが大事だと感じています。

現在は福島でどのような活動をなさっていますか。

15年から福島県のクリエイティブディレクターをしています。発信力を高めるのは復興にも重要です。日本でトップレベルのクリエイターが力を貸してくれて、地元のクリエイターたちに実践を通して教えていく。世界に類のない「誇心館(こしんかん)」という道場を作りました。人をつなぐのが自分の役目なのかなと思うようになりました。

最近、福島を応援してくれる人たちから「震災当時は何もできなくて申し訳なくて」といわれることがあるのですが、今、応援してもらうことに意味も価値もあり、非常にありがたいのです。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を観ていて、ピッチャーは先発、中継ぎ、抑えとそれぞれが重要だと改めて思いました。復興も同じです。先発が走り続けるだけでは続きません。震災直後の本当に苦しいときは全国の人が助けてくれた。第2期は一緒に作っていく。次は自立していく。そして、助けてもらったことへの恩返しをするのです。

大谷翔平、ダルビッシュ有、佐々木朗希という東北の高校出身の3人が、WBCの第一戦、二戦、三戦と投げました。陸前高田出身の佐々木朗希が、3月11日に投げたときは、東北の今に多くの人が思いを寄せてくれる機会にもなると思いながら応援しました。

箭内道彦さんの画像

震災の経験は、広告の仕事にどのような影響を与えましたか。

僕の作るCMや言葉が、誰か一人でも傷つけたり、悲しませてはいけないと思うようになりました。そこで成立するクリエイティブを作ることが使命だと思っています。こんな真面目なことをやる人間じゃなかったんですが(笑)。僕の見た目と真逆なんですけど。

タワーレコードのメッセージ「NO MUSIC, NO LIFE.」、音楽なしでは生きていけない、は一世を風靡しました。今だったら何でしょうか。

「NO MUSIC, NO LIFE.」は同じ制作チームで27年も続いている、非常に稀な広告キャンペーン。僕の人生そのものです。たくさんの人が、この言葉を時間をかけて育ててくれて、じわじわと効く強さ、面白さ、大きさを感じています。

今の僕にとっては、「NO NO MUSIC, NO LIFE., NO LIFE.」でしょうか(笑)。

【小西恵美子=文、菅野健児=撮影】
【ヘアメイク=渡邊良美(coconfwat)】

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