復興の「今」を見に来て!第3回 Part2
「自然・人・なりわいが紡ぐ安らぎと賑わいのあるまち」を復興計画の基本理念に掲げる南三陸町。
2012年8月に南三陸町と協力協定を締結したUR都市機構は、志津川地区の高台造成と低地部の区画整理、災害公営住宅の建設を担当。
豊富な経験とマンパワーを生かし、復興まちづくりを多角的にサポートしている。
南三陸町では、「なりわいの場所はさまざまであっても住まいは高台に」を最優先に掲げ、居住地域は高台に限定。志津川の中心市街地である低地部は盛土によるかさ上げを行い、観光・交流拠点、水産関連エリアなどと区分けしたまちづくりを推進している。復興市街地のグランドデザインを担当したのは、世界的に活躍する建築家の隈研吾氏だ。
60haに及ぶ市街地の整備は、国道や県道、河川をはじめ、さまざまな関連公共施設の整備等との膨大な調整に加え、区画整理事業として換地を決定することも重要。換地にあたっては地権者に移転先の希望を申し出てもらう「申出換地」方式で進めている。
約200人の地権者との重要なジョイント役を担い、話し合いを行っているのがUR都市機構南三陸復興支援事務所・換地担当の佐藤久弥だ。南三陸町戸倉地区出身で小学1年の時にチリ地震津波を体験している佐藤は、震災前の志津川のまちの様子や商店・施設の名称を理解しているのが強み。一昨年4月の着任以来、地元の人々の気持ちに寄り添いながら、丁寧な仕事を続けている。佐藤を支えるのは、「震災前より魅力的な志津川となるよう、まちなみを整えたい」という強い思いだ。
海を見ながら暮らしたい
佐藤と同時期に着任して以来、南三陸の人々の生活に、海や川、山など自然が深くかかわっていることを痛切に感じているのは、市街地整備課の松本悟だ。志津川湾に建設中の防潮堤の高さは8・7m。それに対して新市街地を標高10m以上にかさ上げしているのも、“防災は重要だけれど、海を見ながら暮らしたい”という住民の想いを反映したものだ。
「他にも、大きな河川堤防ができても毎年楽しみにしているサケの遡上が見られる場をとか、かがり火まつりの際に川辺に降りられるような工夫をなど、地元の方が“これだけは”と希望されることの多くは、自然にかかわることなのです」
まちが大きく変わる復興計画を受け入れながらも、昔から大事にしてきた自然に寄り添う暮らしを望む人々。その希望を可能な限りかなえるべく、松本は日々奔走している。
地域性に配慮した集合住宅を
災害公営住宅については、昨年7月に「町営名足(なたり)復興住宅」と「町営入谷(いりや)復興住宅」の2カ所が完成し、町民が入居している。いずれもコミュニティーづくりのための広場や集会所を設置し、自然・地域性に配慮した設計だ。
「名足の集合住宅でこだわったのは、海を望む配置。住棟だけでなく集会所からも海が見えますし、バルコニーの囲いも透明な素材を使用しています」
と語るのは、UR都市機構南三陸復興支援事務所・住宅計画課の宮川拓也だ。建築職で入社した宮川は、南三陸に着任以来、新たな住宅建設への挑戦や迅速な進行にやりがいを感じているという。同時に、完成した住宅でのコミュニティースペースの使われ方などを気にかけ、現地に足を運び、住民の声に耳を傾けることも忘れない。
この日は歌津名足の災害公営住宅で自治会長の梶原義人さんと談笑。台所のスペース拡大のための設計変更で苦労した集会所について、使い勝手がよく、ミニコンサートやクリスマス会に忘年会と大活躍していると聞いて、ひと安心。
「津波で家が流されたけど、やっぱり海はいいね。ここは部屋で座っていても海が見えるんだからありがたい」と言う梶原さん。収納スペースが多く、部屋の使い勝手は大変よいと評判は上々だ。
現在建設中の志津川東(第一、第二)、志津川中央の3地区の災害公営住宅は2016年度に完成予定。ここでも自然や地域のきずなに配慮したまちづくりが進められている。
【妹尾和子=文、平野光良=撮影】
進捗状況をわかりやすく紹介
「南三陸復興まちづくり情報センター」を開設したり、造成中の高台を見学し、使用している重機に試乗できるイベントを町と共同で開催するなど、UR都市機構では住民にまちづくりの進捗を理解してもらう工夫を続けている。
動画
復興の「今」を見に来て!自然と共生するまちづくり
宮城県南三陸町
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