キモチ、あつまるプロジェクト
まずは来て見て、想いをシェアして。ふくしま浜通り 未来へのまちづくりスタディツアー
URが主催する「キモチ、あつまるプロジェクト」が8月29~31日に行われ大学生を中心にした21名の若者たちが福島に集合。復興が進む福島の現状を見て、話を聞く濃密な時間は、学生たちに何を残したのか?
集まった21名の学生たち
「キモチ、あつまるプロジェクト」の舞台は、URが復興まちづくり支援を行う福島県大熊町、双葉町、浪江町。この3町は東日本大震災の原子力災害による全町避難を経て、現在は帰還困難区域の一部で避難指示が解除され、新たなまちづくりが始まっている。参加する21名は、これらのまちの復興状況を見て、現地の人々の話を聞き、交流する。3日目には学生である自分たちに何ができるかを話し合うワークショップを行い、グループごとに発表する予定だ。
大熊町の交流施設「KUMA・PRE」で自己紹介する学生たちの参加動機はさまざまだ。大学で防災やまちづくりを学んでいる、復興に関心がある、将来福島に戻って仕事をしたい、地元の人と交流したいなど。初めて福島に足を運んだという学生も数人いた。
URでこのプロジェクトを担当する佐藤律基は、学生たちが参加するツアーの目的をこう話す。
「URが進める復興支援の現状を見てもらい、この地の復興を自分ごととして考える時間を持ってもらう。そして、学生たちにSNSなどでその情報を発信してもらいたいという思いがひとつ。もうひとつは、学生たちにこの地域とこれからも何らかのかたちでかかわっていく『関係人口』になってほしいという思いがあります。この3日間が、そのきっかけになることを期待しています」
KUMA・PRE
未来へ進むまちを歩く
最初に訪れたのは、廃校になった町立大野小学校の校舎を活用した「大熊インキュベーションセンター」。ここは大熊町が運営する起業拠点で、現在県外の企業を中心に会員はロボットやAI、ドローンなどの90社。教室がオフィス、放送室はWEB会議室、図書室は交流スペースとコワーキングスペース、シェアキッチンに生まれ変わっていた。
大熊町で最も復興が進んでいるのが大川原地区。町役場、新しい学校、交流施設や宿泊施設、それに公営住宅が立ち並ぶ新しいまちが生まれている。このまちを見学した学生たちは、交流施設「linkる大熊」で、「おおくままちづくり公社」の山崎大輔さんから、主に移住促進について話を聞いた。ご自身も2022年4月から大熊町に住む山崎さんは、現在1092人の人口を27年には4000人にするという目標に向けて、一からまちをつくる体験を語った。
大熊インキュベーションセンター
大熊町・大川原地区
次は双葉町に移動。「ふたばプロジェクト」の小泉良空(みく)さんの案内で、双葉駅からまち歩きを開始。小泉さんは大熊町の出身で、14歳のときに県外に避難した経験を持つ。時折、震災前の写真を見せながら、震災の影響と新たなまちづくりが混在するまちを歩いた。
駅前に戻り、小泉さんから双葉町の復興の難しさを聞く。「前に進むしかない地域」という言葉が印象深い。福島県出身の学生からは、「実際に訪れて、自分もつらくなった」などの言葉が。今後、どんなまちになったらいいか、との質問に小泉さんは、「お年寄りや子どもが歩いている、それが当たり前のまちになってほしい」と話してくれた。
双葉町駅西住宅
双葉駅周辺地区
地元の声に耳を傾ける
2日目は「東日本大震災・原子力災害伝承館」と「震災遺構 浪江町立請戸小学校」を見学。
請戸小学校の児童は、約1・5キロ離れた大平山に避難し全員無事だったが、浪江町では182人が津波の犠牲になった。その犠牲者を祀った慰霊碑が建立された大平山霊園で、「まちづくりなみえ」の佐藤成美さんが待っていた。高台の霊園から見渡す景色の中で、震災前から残っているものは請戸小学校の建物だけ。あとはすべてなくなったとの話に、あらためて津波の恐ろしさを実感する。「請戸小学校の児童たちが避難に使ったのは、田んぼの畦道。だから助かった」。避難路は歩いて確認すること、瞬時の判断が大切なこと。青空の下で聞く話は、学生たちの心に沁みていった。
次に浪江町棚塩地区にある最先端産業の拠点を見学。「福島イノベーション・コースト構想」のもと、ここでは水素エネルギー研究施設やロボットのテストフィールド、福島の木材を使った高度集成材製造センターが稼働中。その様子を眺めた後、双葉町中野地区に移動して、双葉町産業交流センターの屋上へ。復興の先駆けとして整備された中野地区で、事業所などの立地が進み、働く拠点が動きだしているさまを確認した。
午後は浪江町に移動。交流拠点「なみいえ」でまちの未来の映像を見た後、浪江町ふれあい交流センターで、佐藤成美さんから町内のコミュニティーの再生支援など現在の活動についてお話を聞いた。
この日、最後に訪れたのは浪江町のニンニク農家。吉田さやかさんは避難先から戻り、地元に貢献できることは何かと考え、馬の堆肥を利用したニンニク栽培を始めた。サムライガーリックと名付けて「道の駅なみえ」などで販売し、人気だという。学生たちは、ニンニクの根を切りネットに入れる作業を手伝った。
東日本大震災・原子力災害伝承館
震災遺構 浪江町立請戸小学校
大平山霊園
浪江町・棚塩地区
浪江駅周辺地区
浪江町:ニンニク農家
私たちにできることは何か
最終日は双葉町産業交流センターで、グループごとに2日間を振り返り、福島の復興のために自分たちに何ができるかを話し合う。午後はその結果を各グループが4分間にまとめて発表した。
会場には大熊町の山崎さん、双葉町の小泉さん、浪江町の佐藤さんはじめ、URの担当者らも集まり、学生たちのアイデアに耳を傾けた。
最初に発表したA班は、「『なみいえ』を浪江のMacに!」と題した寸劇で、「なみいえ」の全国チェーン化というアイデアを披露。B班は「キモチあつまるプロジェクト」の継続のため、今後もかかわれる居場所や、オンラインで語れる場づくりを提案。C班はSNSで呼びかけ、学生がつくるツアーの開催を、D班は関係人口増のためにスポーツなどの合宿パッケージをつくってはと提案した。
大熊町の山崎さんは「『なみいえ』の全国チェーン化は面白い。じつは僕も考えていたアイデアなんです」と喜び、双葉町の小泉さんは、「発表を聞くと、学生たちがこの地で面白い人に出会えたことがわかります。自分たちのできるところからという現実的な提案、すごくよかったです」と話す。学生たちと年齢が一番近い浪江町の佐藤さんは、「同世代同士の化学反応なのか、学生たちの提案に、私もすごく刺激を受けました。実現したいことばかりです」と話してくれた。
参加動機も背景もさまざまな学生たちが、共に過ごした3日間。誰もが、実際に足を運び、自分の目で見ることの大切さを実感した。たくさんの思いを胸に、地元に帰る学生たちに、URの土屋 修理事から、「ここで見たこと、聞いたことを、ぜひ周りの人に伝えてほしい。そしてずっとこの地をウォッチしてほしい」との言葉が。学生たちの心にまかれた福島の種が、今後どのように花開いていくか楽しみにしたい。
復興について考えるワークショップ@産業交流センター会議室
【武田ちよこ=文、菅野健児=撮影】
- ポスト(別ウィンドウで開きます)ポスト
- LINEで送る(別ウィンドウで開きます)
UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]
UR都市機構の情報誌[ユーアールプレス]の定期購読は無料です。
冊子は、URの営業センター、賃貸ショップ、本社、支社の窓口などで配布しています。