角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(37) ついこのあいだ論
photo・T.Tetsuya年齢を重ねていくと、体感時間が短くなる、というのは、ある程度の年齢以上の人ならみんな感じていることだろう。一年なんかあっという間だ。年が明けたと思ったら、もう桜がどうのとニュースでいっせいに言い出して、桜って散るのが速いと感慨に耽っていると猛暑がやってきて、昔の夏はこんなに暑くなかったと言い合っているうち、いのちの危険を感じるほどの台風が続き、台風一過の空を見上げていると、師も走るくらい忙しいから師走ってすぐ過ぎるんだよねと、だれかが言っているのが耳に入る。
時間がたつのがあんまりにも速いものだから、私はもう、元旦を迎えたその夜に、大晦日もあっという間なんだろうなとわざわざ考えて、心の準備をしているほどだ。
ほかの同世代の人はどうかわからないけれど、時間の流れが急速になるのと比例するように、過去が短く感じられるようになった。
たとえば、初対面の仕事相手が、二〇〇三年生まれなんですと言ったりすると、若い、と思うより先に、「ついこのあいだじゃないか」と唖然としてしまう。そして、ついこのあいだ生まれた人がこんなに立派な大人になって……と、親でもないのに妙な感慨を覚えてしまう。
私にとっていつまでが「ついこのあいだ」の範疇なのか、あらためて考えてみると、一九九八年あたりが、「ついこのあいだのような気がするが、意外と前」という感覚である。一九九〇年になると、「かなり前」という感覚だ。でも実際は、平成レトロという言葉があるくらいだから、二〇〇○年はすでに昔なのだし、一九九〇年なんて大昔だろう。
しかしこの「ついこのあいだ」はたんなる体感に過ぎない。世のなかの事象をそれぞれの年にあてはめてみれば、それがどのくらい昔なのかがはっきり理解できる。たとえば一九九〇年、私はディスプレイに三行くらいしか表示されないワープロを使っていた。飛行機の後部には喫煙席があった。二〇〇〇年に交通系ICカードはまだ存在しておらず、どこにいくにも切符を買っていた。私が人より遅れて携帯電話を購入したのは、二〇〇一年のあたり。ほーら、ぜんぶ、ものすごい昔ではないか。
そんなふうに、「ついこのあいだ」という体感に少し遅れて、「いやいや、ネットも配信サービスもないくらいの、すごい昔」と認識が追いついてくるから、まだよしとしよう。これから、もっと時間の流れが速くなって、もっと過去が短くなって、認識も追いつかなくなったときが私はおそろしい。私の知っている「ついこのあいだ」、飲み会では女性がふつうにお酌をしていたし、彼氏、彼女はいるのか、結婚の予定はあるのかと、平気で訊く人が多かった。そういう、今に照らし合わせたらものすごく古い、悪しき習慣と慣習をアップデートできなくなったら、たいへんよろしくない。なので、ついこのあいだ、と思った場合は即座に、いや昔だ昔、大昔、と自分に言い聞かせている。
プロフィール
かくた・みつよ
作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『明日、あたらしい歌をうたう』(水鈴社)。
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