【特集】宮城県気仙沼市
震災を経て輝きを増す
わくわく、きらきらのまち
3月6日、三陸沿岸道路が宮城県内全線開通し、仙台から宮古まで結ばれた。
これにより岩手、宮城の沿岸部へのアクセスが格段に向上。
なかでも注目を集めたのが、ルート上に誕生した眺望抜群のスポット、物資や人だけでなく、希望も運ぶ気仙沼湾横断橋だ。
「ここに橋が架かったらいいなと夢見ていましたが、まさか三陸沿岸道路が通るとは思わなかった」と笑顔で話すのは、気仙沼在住、宮城三菱自動車販売(株)の千田満穂(ちだみつほ)会長だ。還暦を機に、自身が理想とする気仙沼の未来絵地図の制作を始めた千田会長。改訂を重ねた絵地図は現在6版になるが、気仙沼湾にかかる橋は2000年の初版から描かれていた。「橋の上から風光明媚なまちを見てもらい、気仙沼っていい所だな、こんど恋人や家族と一緒に来ようと思ってもらえたら」というのが橋に込めた思いだという。
地盤沈下したまちを造成し直す難しさ
沿岸地域でも湾の形状や向きなどにより、東日本大震災の津波の被害状況は異なる。気仙沼の中心市街地は家屋や建物がある程度残ったものの地盤が沈下し、満潮時には浸水する状態に。URは現地に事務所を置き、南気仙沼や鹿折(ししおり)地区の区画整理事業や災害公営住宅の建設を支援してきた。今年3月に事業が完了し、整備された市街地には集合住宅や戸建て住宅、スーパーや旅館などが建ち、新たなまちの顔を見せている。
「下水道や光ファイバーなどライフラインが張り巡らされていた市街地の整備は、まっさらにして造成し直すのとはまた別の難しさがありました」とUR気仙沼復興支援事務所所長の佐光清伸は説明する。多数の関係機関と調整を重ね、道路を何度も切り替えながらのスピードが求められる厳しい作業が続いた。
利便性の高いコンパクトシティになったと思うと話すのは、気仙沼市建設部の佐々木守部長だ。
「URさんがいなかったら、このまちはなかったですよ。いろいろな提案をしてくれて、住民説明会や議会にも同席して納得のいく説明をしてくれて。私にとってURの方々は戦友です」と目を潤ませた。
復興の先に続くまちづくり
そして今、気仙沼は震災を経て力を蓄え、これからどのように発展していくのか、期待を集めるまちになっている。市が目指すのは「世界とつながる豊かなローカル」だ。気仙沼市震災復興・企画部の小野寺憲一部長は語る。
「まちの長い歴史の中の10年。壊れた道路や街並みを直せば、それで復興は完了ではありません。自分たちがやるべきことは、過去から受け継いできた人材や文化、自然といった地元の資源をベースにした、未来に向けたまちづくりです。この大きな軸のなかで、震災を契機に得られた環境をどう生かすかを考えてきました」
被災地支援として開かれた若手経営者の育成塾「経営未来塾」の卒塾生が、行政の施策やまちづくりに積極的に参加してくれるようになったことを受け、人材育成の重要性を実感。Iターン者や外部の人の力も借りながら、まちづくり人材の育成の機会を高校生や女性、シニアなどにも広げてきた。
「〝わくわく、きらきらのまち″と表現しているのですが、自分たちが主役であり、まちを変えられる、チャレンジできると思えるまちを目指しています」と小野寺部長。
その効果は、市民の積極的なまちづくりへの参加や若手移住者の増加など、さまざまな面で表れているという。5月からは気仙沼で生まれ育った女性が主人公のNHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」の放送もスタートする。このまちの今後の飛躍が楽しみだ。
【妹尾和子=文、菅野健児=撮影】
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