【特集】命を守り、命をつなぐ。高台は防災の道しるべ(徳島県美波町)
国の南海トラフ巨大地震の津波想定で、徳島県内最大の高さ(24m)が示された美波町。
早くから防災に取り組んできたこのまちでは高台を造成し、地域の人の命を自分たちで守るための取り組みが続けられている。
防災公園とこども園を高台に

徳島県の東南部にある美波町は、日和佐(ひわさ)と由岐(ゆき)の2町が合併して2006(平成18)年に誕生した。人口約5600人。黒潮の恵み豊かな漁場を有し、イセエビ漁が盛んなまちだが、平地はほとんどなく、海と山の間に集落があるという地形。そして日和佐地区のほとんどが南海トラフ巨大地震の浸水想定区域となっている。
「地域は地域の人が支えるとの考えのもと、最悪を想定して動いてきました」
2009年から町長を務める影治(かげじ)信良町長は穏やかな口調でそのように語る。幹線道路が国道55号、1本しかないという地理的状況があり、国道が被害を受けたり、災害が広域に及んだりした場合、しばらく他地域からの応援が望めないことも想定して対策を立てている。

影治町長は東日本大震災発災の3カ月後に現地に入り、そこで見聞きした状況をもとに、病院の高台移転、避難路の整備、津波避難タワーの建設などを、地元の人と対話を重ねながら丁寧に、着実に進めてきた。その避難困難区域を解消し、地域の住民の命を救い、守るための整備が「第1ステージ」だとしたら、いま美波町は防災の「第2ステージ」、避難して助かった命をつなぐための環境整備に取り組んでいる。
日和佐地区の中心地近くに高台を整備中で、造成はほぼ完了。今後、備蓄倉庫などを備えた防災公園を整備し、有事のときには応急対応、災害支援の拠点に、また仮設住宅の建設地にする予定。あわせて高台に「こども園」を移転することも決まっている。
「東日本大震災のときに、お子さんが心配で迎えに戻って親御さんが津波に巻き込まれたという話を聞きました。家族がどこにいても『子どもは高台にいるので安心』と思える環境をぜひとも整備したいと思っていました」と影治町長。
「平時」と「有事」「ハード」と「ソフト」
URは美波町でこの高台造成の計画や工事手法などを支援してきた。防災公園の配置や道路の線形などを整え、山から削った土で谷を埋めるなど効率的な造成計画の策定支援に努めた。
「地形的制約があり、予算も限られたなかで、美波町の方たちにできるだけ広い高台をいかに効率よく整備するか。そこにニュータウン開発や東日本大震災の復興で培ってきた大規模造成技術を生かしています」
URの山口正人はそう説明する。
美波町とURは連携強化のため、2021(令和3)年に「美波町における津波防災まちづくり・地方都市再生の推進に向けた協定」を締結。そして同年、URは日和佐地区の古民家をリノベーションして、URで初となるサテライトオフィス「うみがめラボ」を開設した。ここはまちづくり支援の拠点でもある。
防災まちづくりでは、「平時と有事」「ハードとソフト」のバランスが大切だと語る影治町長。
「100年に一度の災害に備えることも大切ですが、防災公園はふだん使いできることも必要です。URさんには技術的な支援だけでなく、イベントの企画などまちづくりを含めたソフト支援もしていただき、大変助かっています」
うみがめラボでの「子ども防災食堂」やワークショップの開催、「高台整備見学ツアー」の企画・運営など、現在URはハード・ソフトの両面から美波町を支援している。




200年後も見据えて備え続ける
影治町長は、防災は山登りに似ているともいう。
「急勾配の道を歩き続け、あるとき後ろを振り返ると、ああこれだけ登ってきたんだと実感する。歩き出さなければ何も進みません。踏み出してみれば課題も見えてきます。命を救うための造成地の整備は、目に見える変化があり、町民にとっての道しるべでもあります」
今後、高台に防災公園やこども園が整備されれば、まちの人にとって希望となるだろう。
ここまでやれば終わり、という区切りのない防災。影治町長から発せられた「次の100年後も見据えて、いまURさんから学んでいる技術をつないでいきたい」という言葉に心が震えた。
美波町は200年後の大地震・津波も視野に入れながら、着実に備えと歩みを進めている。



【妹尾和子=文、菅野健児=撮影】
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