【公団誕生70年】暮らしとともに変化・進化する団地1
憧れの集合住宅
住宅不足解消のための先進的な住まいが誕生

URの前身である日本住宅公団が設立されたのは、今から70年前の1955(昭和30)年。翌56年に日本で初めての公団住宅(団地)である金岡団地(大阪府堺市)が誕生した。以降、多摩平団地(東京都日野市)や香里団地(大阪府枚方市)など都市近郊に次々と団地が造られていった。
背景には戦後の住宅不足があり、日本住宅公団は、大規模な宅地開発を行い、不燃住宅を供給することを目的としていた。
今では住戸内に当たり前にある水洗トイレや浴室も、当時は画期的。団地にはダイニングキッチンも備えられた。食事のときは和室にちゃぶ台を出して、それを片付けて布団を敷いて寝るという、それ以前の日本の家のスタイルから一変。食事する部屋と寝る部屋が別という欧米スタイルの「寝食分離」を団地は実現した。
日当たりや風通しに配慮した住棟の配置、豊かな植栽環境などもあり、当時、多くの人にとって団地は憧れの住まいであり、入居者募集の際には希望者が殺到、高倍率での抽選が行われた。
その後も時代や人々のニーズに応えるかたちで団地は進化しながら数を増やしてきた。61(昭和36)年には、サービス・質の向上のために、関係法人である㈱団地サービス(現・日本総合住生活㈱:JS)が設立され、集合住宅の設備管理の研究を重ねている。
日本住宅公団はその後、宅地開発公団と統合するなどの組織改編を経て、2004(平成16)年にUR(都市再生機構)として新たに歩み始めた。年月を経て建て替えが行われた団地もあるが、50年以上の長きにわたり、人々の暮らしを支え続けている団地が今も各地にたくさんある。

写真/朝日新聞社

管理開始から50年以上 今も現役です!
滝山団地
東京都東久留米市滝山6-1
1968(昭和43)年12月~
1,060戸(25棟)1LDK~3DK
敷地約7.8ha
最寄駅は西武新宿線の花小金井駅。分譲住宅側はテレビドラマや映画のロケ地としてよく利用される団地で、最近ではテレビドラマ「日曜の夜ぐらいは…」「団地のふたり」「しあわせは食べて寝て待て」にも登場。ロケ地巡りで訪れる人も少なくない。近くには個性豊かな飲食店や、キャンプ場や野球場も備える桜の名所、滝山公園などがある。

江南団地
愛知県江南市藤ヶ丘1-1-1他
1968(昭和43)年11月~
3,294戸(94棟)1LDK~6DK
敷地約25ha
最寄駅は名鉄犬山線の江南駅。広大な敷地には緑があふれ、自然林を生かした公園もある。市内でも有数のドングリの木の宝庫で、落ち葉での堆肥づくりに取り組み、「カブトムシ幼虫教室」「どんぐり教室」などの環境学習会も行われている。数多くの遊具や広場のほか、ランニングコースも敷地内にあり、壁に動植物の絵が描かれた住棟もある。

星の原団地
福岡県福岡市早良区星の原団地
1972(昭和47)年3月~
2,174戸(64棟)1LDK~3DK
敷地約16ha
最寄駅は福岡市地下鉄七隈線の賀茂駅。敷地内にスーパーや青果店が並ぶ商店街、小児科、歯科医院、郵便局、幼稚園などがあり、子育て世代にも人気の団地。中心地のシンボルタワーでもあった給水塔(写真左端)は役目を終え、2024年12月に撤去され、広場は2025年4月にリニューアルされた(写真は2024年時点のもの)。最近は団地カフェ「星の原カフェ」や団地食堂「星の原やすらぎ食堂」が定期的に開催されるなど住民同士の交流も盛んだ。

団地の歩みが一目瞭然
「URまちとくらしのミュージアム」

赤羽台団地(東京都北区)の建て替えによって整備された「ヌーヴェル赤羽台」。その一角にある「URまちとくらしのミュージアム」では、集合住宅の歴史がわかりやすく紹介されている。建築家・前川國男の設計で1958年に完成した晴海高層アパート住戸や、進化する団地の建設・設計部品などが見学できる。
【青木登、菅野健児=撮影】
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