【特集】津波を生き抜いた3本の桜が東京で復興を語り継ぐ(東京都北区赤羽台)
2月24日、「URまちとくらしのミュージアム」で、東日本大震災の津波被害からの復興を語り継ぐ桜の植樹式が行われ、津波を生き抜いた3本の桜の幼木が、東京の土に植えられた。
復興のレガシー桜への思いを胸に
東日本大震災から13回目の春。東京都北区赤羽台にある「URまちとくらしのミュージアム」で、「東日本大震災からの復興を語り継ぐ桜」植樹式が行われた。
この日、植えられる桜は、東北の被災地で津波を生き抜いた3本。岩手県陸前高田市からは、震災前に桜の名所だった本丸公園のヒガンザクラ。宮城県女川町からは、旧女川第一中学校のヤマザクラと、旧女川第二小学校のソメイヨシノの幼木が選ばれた。
式典を担当したURの震災復興支援室の畑 裕治は、「2年前にURの津波被災地の復興支援事業が完了した後、被災地の復興の状況を長く語り継ぐきっかけがつくれないかと考え、陸前高田市と女川町の皆さんに相談しました」と経緯を説明した。この2市町は、URが岩手県、宮城県でそれぞれ最大規模の復興支援事業を行った地区だ。
「津波を生き抜いた桜を植樹して、それを国内外に発信し復興を語り継ぐレガシーにしたい」
式典の冒頭でUR理事の土屋修はこう話し、陸前高田市、女川町から来られた来賓のあいさつが続いた。
陸前高田市建設部部長の菅野 誠さんは、本丸公園の桜がここに植えられることを喜び、「この木の由来を知って、陸前高田を訪れる人が増えれば、交流人口の拡大につながる」と期待を寄せる。
震災直後に地元・陸前高田で小学校の校長を務めた金野美惠子さんは、「まちが復興していくさまを見た子どもたちには、立ち上がって未来をつくる力が備わっている」と話し、女川町から参加した建設課技術参事の小林貞二さんは、植樹する桜は復興事業で道路を拡幅するために伐採した桜を接ぎ木したものだと、その由来を説明。
女川桜守りの会副会長の加納純一郎さんは、震災後、辛うじて残っていた桜の幹から出ていた若芽を育て、今、女川には700本ほどの桜が植えられていると語り、「女川1000年後の命を守る会」の伊藤 唯さんは、震災の記憶を後世に残す活動について話してくれた。
ここが震災復興の発信拠点になる
ミュージアムの中庭で行われた植樹式の後、2人の女性に話を伺った。松田由希菜さんは陸前高田市出身で、現在は東京の大学に通う2年生。「本丸公園は子どもの頃から親しんできた場所。その桜が東京に植えられ、それを見た人が東日本大震災を思い出し、震災を自分ごととして考えるきっかけになればうれしい」と目を輝かせた。
7歳の時に被災し、まちが復興していく様子を見てきた松田さんは、まちづくりに興味を持ち、現在は地元陸前高田市のNPOに所属して、岩手県の別の地域のまちづくりや地方創生活動に参加している。陸前高田で震災を語り継ぐ活動も行っており、「語り継ぐことは自分の義務」だと話す。
女川町出身で絵本作家・アーティストとして活動する神田瑞季さんは、中学校の卒業式の前日に被災。その年の秋、瓦礫処理場の壁に明るい木の絵を描いたことをきっかけに、2019年に「カラーライフプロジェクト」を始めた。「色がなくなったまちに、絵を通して温かな色を届けることで、少しでも人々が明るい気持ちになってくれたら」という思いで、主に木の絵を描き、女川町で個展開催を続けている。
「東京という新しい土地で、この桜が枝を伸ばし、花を咲かせ、新しい物語を紡いでいくことが楽しみです」と神田さん。
URの畑は、「この桜は復興支援の発信拠点。いつまでも大切にしていきます」と誓った。
専門家によれば、早ければ来年の春には花を咲かせるかもしれないという3本の桜。その開花をたくさんの人が待っている。
【武田ちよこ=文、菅野健児=撮影】
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