【特集】住むまちをよくしたい。その思いから広がる活動と仲間(福島県浪江町)
若者の一人として役に立てるなら
浪江町で居住制限区域の避難指示が解除されたのは2017(平成29)年。その年に約300人だった居住者は、現在2000人ほどに。多くのプレイヤーが活躍し、まちに活気が生まれている。
その土台を作った立役者のひとりが、緒形 亘さんだ。福島県白河市出身の緒形さんは、避難指示解除前に復興公営住宅のコミュニティーづくり支援で浪江町を担当していた。そこで「若い人が戻らないまちに希望はないよね」という町民の声を聞き、若者の一人として自分が役に立てるならと避難解除後すぐの2017年春に、浪江町にやってきた。
その後、人が集まったりお茶を飲めたりする場がほしいとの声を受けて「ゲストハウスあおた荘」を運営し、コミュニティーづくりの場としての「なみとも」を立ち上げた。さらにエゴマの栽培、浪江町の若手農家のネットワーク「なみえファーム」の設立、浪江の産品を扱う商社「浜のあきんど」の設立、道の駅なみえにてラーメン店「麺処 ひろ田製粉所」のオープン……と、その活動の展開には驚くばかり。
けれどもご本人は「自分たちの住むまちをよくしたいと思って、その時々の課題に向き合ってきた結果で」とさらりと語る。
2018年に、当時数少なかった若者仲間、小林奈保子さんと共に緒形さんが立ち上げた「なみとも」は、戻ってきた町民やボランティアの若者、移住者などが出会い、交流する場だ。名称には「浪江で友達をつくろう」という思いを込めた。日々の生活を充実させたり、楽しむためのイベントを次々に開催。まちのにぎわいを取り戻すために始めた「新町にぎわいマーケット」は年々参加者が増え、昨年は1000人が集まった。3月10日には恒例となった「キャンドルナイト」も開催している。
また最近は自主防災組織を立ち上げ、「炊き出し訓練」と称してゲリラ的に豚汁などの炊き出しをすることも。
「クチコミだけで人を集めるのがルールで、豚汁がなくなるまで帰れません。せっかくやるなら、おもしろくやりたいと思って」
そう笑って話す、防災訓練もゲームのように行う緒形さんたちだからこそ、多くの人をつなぎ、巻き込んできたのだろう。
ここには移住者の居場所がある
居住者やまちに関わる人が増え、まちの状況が日々変化するにつれ、「これはどこに問い合わせたらいいの?」「いったいそのイベントはどこであるの?」といった声も増えてくる。それらの情報整理の場となっているのが、「なみとも」主催で隔月で開催される「なみえ会議」と、情報交流施設「なみいえ」の情報掲示板だ。
「なみえ会議は、まちで活動する団体や関連企業さんとの情報交換会の場です。URさんにも関わってもらって情報を整理して、『そのイベントは、これと一緒にできるよね』と整理したり。URさんが用意してくれた大きな掲示板が、とても助かっています」
緒形さんの話に出てくる掲示板は、URの情報交流&発信の拠点「なみいえ」に設置されたものだ。
「浪江町では把握できないほど活発にイベントが行われていますので、情報を集約する場として、なみいえの入口に大きなボードを設置して一般の方にも開放し、自由に書き込んでもらっています」
と浪江町のソフト支援を担当するURの阿久津賀央(よしひろ)は説明する。東日本大震災の復興支援に長く携わってきた阿久津だが、浪江のプレイヤーの多さ、盛り上がりは驚異的だと語る。
そもそも、なぜ浪江町には移住者が多いのだろう?緒形さんによれば、もともと商売人が多いまちで、祭り好き。人が温かくて、新しい人を受け入れ応援する土壌があることが、移住しやすさに影響しているのではないかとのこと。
「ゼロからスタートのまちですから、チャレンジもできるし、必要とされることも多いんです。必要とされるから頑張って応じる。移住者にも居場所があるんです」
自分の居場所であるまちをよくしたい。そのような思いを抱く人が増えれば増えるほど、まちは魅力を増すだろう。たとえ困難な課題が現れても、恐れず立ち向かえる。そんなしなやかな強さを浪江町に感じた。
【妹尾和子=文、菅野健児=撮影】
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