【特集】夢はフルーツ王国の復活!キウイ栽培に挑む若者たち(福島県大熊町)
大学時代に大熊町に出会う
大熊町がキウイフルーツで盛り上がっている、2023(令和5)年秋には、大学生がキウイ栽培のために起業した、と耳にした。それはぜひ話を聞いてみたいと、大熊町へ向かった。
訪れたのは2月。青空の下に広がる畑で、さわやかな笑顔で出迎えてくれたのは、今春大学を卒業する原口拓也さんと、春から大学4年生になる阿部翔太郎さんだ。1ヘクタールの圃場(ほじょう)に540本のキウイの苗木を植える予定とのことで、その準備をしていた。
ふたりとも大熊町と縁ができたのは大学に入ってからだ。神奈川県出身の阿部さんは大熊町の人に話を聞いて本にまとめるサークル活動を通して、この地に通うようになった。大阪府出身の原口さんは、友人の誘いで「おおくまハチドリプロジェクト」のアイディアソンコンテストに参加したのがきっかけで訪れた。
原口さんはコロナ禍で大学に通えない時期に、大学のある和歌山でみかん農家の仕事を手伝ったのを機に農業に関心をもち、全国20カ所以上の農園を訪ね歩いていたが、まさか大熊町で就農するとは考えてもいなかったという。
「それがなぜ?」と尋ねると、「おおくまキウイ再生クラブの活動で出会った関本元樹さんのキウイがうますぎて~」とニッコリ。
「おおくまキウイ再生クラブ(以下、再生クラブ)」とは、5年前にスタートした、震災前に大熊町の特産品であったキウイフルーツの再生に取り組む有志団体だ。URの職員も参加している。かつて大熊町で果樹栽培をし、震災後は避難先の千葉県で栽培している関本さんの指導を仰いでいる。
再生クラブで出会った阿部さんと共に、昨年「(株)ReFruits」を立ち上げた原口さん。衝撃的な味のキウイに出会い、国産キウイに将来性を感じたとはいえ、除染のために果樹がすべて伐採・抜根されたこの地で新規就農する苦労は想像に難くない。キウイは実がなるまで少なくとも3年の歳月も必要だ。
「再生クラブのメンバーと飲みながら話しているときに盛り上がって、僕がやります!と言ってしまったんです」と原口さん。
まちに再び果樹が実る風景を
原口さんに誘われた阿部さんが一緒にやる決心をしたのは、まちの人たちから、大熊町はかつて梨やキウイが特産品であり、フルーツ王国であったこと、梨やキウイの実る風景をもう一度見たいという話をたびたび聞いていたから。それに加えて「地域に根付いた農業を産業として確立させていくことに意義を感じたから」だ。
特産品と掲げるなら、事業を継続して成り立たせていく必要がある。そのため会社組織にした。
「とはいえ、今は新規就農の大変さを実感していますし、収穫までの3年間は収入がなく、皆さんの期待に応える果実が収穫できるのかという不安もあります」
そう語る原口さんの支えは、再生クラブをはじめ大熊町の仲間の存在だ。「何かやろうとしたときに、手助けや応援をしてくれる人が多い」。それも大熊町での就農を決めた大きな要因だという。
「URの方々も圃場での作業に協力してくれたり、前任だった方が今も関東から毎月週末に足を運んでくれたり、ありがたいです」と阿部さん。
URはソフト支援として、このふたりをはじめ地域の力になっているプレイヤーの活動の支援や情報発信を担っている。首都圏の人に知ってもらうため、クラフトビレッジ西小山でのキウイイベントなど、プレイヤーに「場所と機会」を提供しながら応援している。
大熊町でソフト支援を担当するURの島田優一は入社3年目。同年代の人たちががんばる様子に刺激を受けているという。
「地域の外からの交流人口や関係人口をいかに増やすか。これは福島だけでなく、日本の地方都市の課題ですが、チャレンジしたい人を応援する気風のある大熊町には、熱い思いをもった人が集まってきます。そして皆さん仲がいい。原口さんや阿部さんの知り合いや、話を聞いた人が大熊町に足を運んでくれることもよくあります」
人が人を呼ぶ——。キウイでつながり、広がる輪はまだまだ大きくなりそうだ。
【妹尾和子=文、菅野健児=撮影】
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