【特集】時間をつないでいく場所 駄菓子店を守る3代目おもちゃと駄菓子の「ぐりーんハウス」(町田山崎団地 東京都町田市)
入居開始から55年になる町田山崎団地に、団地誕生とともに歴史を重ねてきた一軒の駄菓子店がある。現在、店を守るのは3代目店主。その事業継承の思いを伺った。
子どもたちのオアシス閉店の危機
入居が始まった55年前、総戸数約3900戸の町田山崎団地の名店街にはさまざまな店が並び、団地は活気にあふれていた。その商店街にあるおもちゃと駄菓子の店「ぐりーんハウス」は、団地とその近隣に住む子どもたちにとって、オアシスのような存在だった。
「30年前、小学生だった僕も、毎日のようにこの店に来ていました。団地の広場で友達と遊び、『ぐりーんハウス』に寄って、少ない小遣いから駄菓子やおもちゃを買うのが楽しみでした」
そう思い出を語るのは、2012(平成24)年に「ぐりーんハウス」2代目店主となった綾野光紘さん。綾野さんはその数年前、26歳のときに、町田山崎団地名店街に「もつ鍋処 さくら」という飲食店を開業していた。
「もつ鍋店の営業を続けるうち、商店街の集会で、『ぐりーんハウス』が店を閉めるという話を聞いたんです。『ぐりーんハウス』は子どもたちの憩いの場、ここを閉めてはいけない、という思いから、『じゃあ、引き継いでもいいですか?』と手を挙げました」
当時の団地は子どもの数も少なくなり、駄菓子店の経営は厳しかった。だが綾野さんは、「とにかく続けることが大事」との思いで、現在の場所で2代目の「ぐりーんハウス」をスタート。店は綾野さんの母に見てもらいながら、赤字が続いても継続していたが、お客の数は減るばかりで経営の厳しさは増す。そろそろかなと閉店を考えたとき、この店の記事が地元の経済新聞に掲載された。
この店を守りたい思いが受け継がれた
横浜市で商業施設の設計の仕事をしていた除村(よけむら)千春さんは、たまたま読んだこの記事に心を動かされた。
小学生時代に町田山崎団地に住んでいた除村さんにとって、この団地と「ぐりーんハウス」は当時、世界の中心だった。
「『ぐりーんハウス』は子どもたちのたまり場で、ここに来ればいつも友達がいました。懐かしい思い出しかありません。大人になっても、頭の中にこの団地商店街が原風景として残っていて、常に気になる場所だったんです。実家が近くにあるので、来るたびに団地の中を歩いて、その変化も感じていました」
「ぐりーんハウス」閉店の記事を読んだ除村さんは、「このままでは子どもの居場所がなくなってしまう。居場所を守りたい」という思いに駆られ、閉店の日に「ぐりーんハウス」にやってきた。
「そうしたら、名残惜しそうにする子どもたちがたくさんいるんです。それがとても豊かな光景に見えました。ここを絶やしたくないという思いがつのり、綾野さんに連絡しました」
「相談を受けて、駄菓子店だけで食べていくのは難しいですが、除村さんは自分の仕事を持っていらっしゃるので、それならやっていけるのではないか、とアドバイスしました」と前店主の綾野さんは言う。
除村さんは商業施設の設計にかかわって20年以上。
「商売には売上や集客、利便性といったことが欠かせませんが、施設の設計を担う者として、数字だけではない商売の在り方を見つめ直したいタイミングだったのだと思います。次々に新しいものがつくられ、壊されていく現代において、この店はその流れとは逆行した存在。ここに流れてきた時間、自分たちの記憶や経験、そういったものを次の世代の子どもたちにも経験してほしい。時間をつないでいくことに、この店の存在意義があると考えました」
多世代が集まるハイブリッド駄菓子店
20年6月に新装開店した「ぐりーんハウス」は、昔ながらの駄菓子店に新たな機能がプラスされた、ハイブリッドな駄菓子店となっている。除村さんのアイデアで、店の一部分はシェアキッチンに改装して貸し出し、日ごと、週ごとにさまざまな店が出店。ここには大人のお客さんが集まり、ワークショップが開催されることもある。そして奥には除村さんのオフィスがある。
平日の午後3時過ぎ、今日も「ぐりーんハウス」に子どもたちが三々五々集まってくる。ふらりとやってくる大人のお客さんは、駄菓子に興奮して“大人買い”。親子連れもいる。団地に住む高齢者も顔を出し、昔話を聞かせてくれる。団地の中の駄菓子店には、さまざまな世代の人たちをつなぐ時間が流れている。
【武田ちよこ=文、菅野健児=撮影】
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