街に、ルネッサンス UR都市機構

岩手震災復興支援本部から(2015年09月)

東日本大震災の復興支援について現地の姿をお伝えします。

2015/9/27

釜石市鵜住居(うのすまい)地区で地域の祭りに参加しました

9月27日(日)、釜石市鵜住居地区にある鵜住(うのすみ)神社の渡禦(とぎょ)祭が開かれました。

東日本大震災の津波で3基のみこし全てを失いましたが、全国からの寄付などで今年5年ぶりに復活し、この日初めてお披露目されました。

写真:復活した本みこし<復活した本みこし>

渡禦祭では男衆がみこしを担いで地区内を練り歩き、 数ヵ所で奉納舞として地元の虎舞(とらまい)や鹿踊り(ししおどり)、手踊りなどが披露されました。
新しい本みこしは重さ約400キロで、金具等の部品は洗浄するなどして再利用し、 被災前のみこしの形が再現されました。
UR職員6名や復興工事を担う大林JVなどからも担ぎ手として、地元の方々と一緒に担ぎ、地域の祭りを盛り上げました。

写真:本みこしを担ぐ男衆。UR職員も担ぎました(手前列右から2番目と3番目)<本みこしを担ぐ男衆。UR職員も担ぎました(手前列右から2番目と3番目)>
写真:披露された虎舞<披露された虎舞>

渡禦祭には約400名もの方が参加し、それを見に多くの住民が集まりました。

住民の方々のこうした祭りへの強い想いを受け、新たなまちの 計画では虎舞や鹿踊りなどを披露する場となる公園を地区内に数箇所配置し、現在復興工事を進めています。
早く復興したまちで祭りが開催できるよう、事業を進めて参ります。

<みこしを担いだ職員>

2015/9/26

釜石市鵜住居(うのすまい)地区見晴らし台一般開放

9/26(土)12時から14時半まで、釜石市鵜住居地区高台の一部に設置した見晴らし台の一般開放が行われました。 鵜住居地区の見晴らし台は海抜約15mの高さにあり、将来鵜住居地区俯瞰できる鵜住居小学校・釜石東中学校のグラウンド予定地の一角に工事状況の視察者対応として7月に設置しました。普段は工事車両が行き来しているので工事関係者以外は立ち入れません。 今回の一般開放は、地元の方々に復興の進捗状況を直接見て、感じてもらいたいという鵜住居地区復興まちづくり協議会から要望があり開催しました。

鵜住居駅付近から地区西側高台部を望む<鵜住居駅付近から地区西側高台部を望む>

当日は小雨が降るあいにくのお天気でしたが、 小さいお子様連れのご家族や年配のご夫婦など総勢43名の方が来場されました。 見晴らし台には鵜住居地区、片岸地区のまちづくりの概要や将来の完成イメージのパネルを設置して、 UR職員が造成工事で変化するまちのすがたを説明しました。

見晴らし台からUR職員(右)が来場者に説明する様子<見晴らし台からUR職員(右)が来場者に説明する様子>

また、見晴らし台に隣接する学校建築工事の事務所にて、 鵜住居小学校、釜石東中学校、鵜住居幼稚園の模型も見学することができました。 子供連れのご家族の方などは、学校の設計内容について熱心に質問されていました。

小・中学校の模型を見学する来場者<小・中学校の模型を見学する来場者>

この日は鵜住(うのすみ)神社の渡禦(とぎょ)祭が行われる日で、 神事の前に鹿踊り(ししおどり)用の鮮やかな着物を着た子どもたちも来てくれました。

見晴らし台を見学する家族<見晴らし台を見学する家族>

来場した方は、これからできる自分の敷地を確かめたり、被災前の思い出を語ったり、 新しい学校に想いを馳せたり、それぞれに見晴らし台での時間を過ごしていらっしゃいました。 これからも造成工事が進み、まちの風景が変わっていきます。地元の皆さんとともに風景を見つめていきたいと思います。

見晴らし台からの風景<見晴らし台からの風景>

2015/9/15

陸前高田市でベルトコンベヤーが停止しました

9月15日(火)、陸前高田市の今泉地区でベルトコンベヤーの停止式があり、これをもってベルトコンベヤーでの土砂搬送が終わりました。

ベルトコンベヤー全景(平成27年7月)<ベルトコンベヤー全景(平成27年7月)>

昨年3月に土砂搬送を開始し、今泉地区から気仙川を挟んだ反対側仮置き場へ高田地区の盛土用の土砂を運搬してきました。
運搬した土砂は約500万m³、東京ドーム約4杯分にあたります。
1日にダンプカー4千台に相当する約2万m³の土砂を運び、ダンプカーで約8年半かかるところ約2年半まで、約6年もの期間短縮につながっています。

今泉地区・高田地区の運土計画図(図面は平成26年2月時点)<今泉地区・高田地区の運土計画図(図面は平成26年2月時点)>

ベルトコンベヤー設置前の今泉地区の高台予定地(平成25年9月)<ベルトコンベヤー設置前の今泉地区の高台予定地(平成25年9月)>

現在の今泉地区の高台(平成27年8月)。標高約130mの山を約50mまで切り、その土砂を運びました<現在の今泉地区の高台(平成27年8月)。標高約130mの山を約50mまで切り、その土砂を運びました>

停止式では陸前高田市の戸羽太(とばふとし)市長が、「ベルトコンベヤーは、当初市民には戸惑いがあったが、今ではなくてはならないものになっている。 解体されるのは複雑な思いだが、復興が進んだ証拠。 仮設にお住まいの方がまずは『終の棲家(ついのすみか)』を再建し、ベルトコンベヤーがなくなっても陸前高田の活気をもたらすように様々なことに取り組んでいく」とあいさつされました。

あいさつされる戸羽市長<あいさつされる戸羽市長>

続いて、UR都市機構の森本剛(もりもとたけし)岩手震災復興支援本部長が、「ベルトコンベヤーは陸前高田の復興の象徴ともいえる施設で、無事に役目を終えることができた。 これからは新しい陸前高田のまちが見えてくる段階。引続き全力で陸前高田市の復興に尽力して参ります」と述べました。

あいさつする森本本部長<あいさつする森本本部長>

施工者を代表して清水建設株式会社東北支店の枝松勲副支店長が「今日を一つの通過点として、一日も早い復興を目指して努力していく」とあいさつされました。
最後に戸羽市長が停止ボタンを押し、1年半稼働したベルトコンベヤーは停止しました。

停止ボタンを押す戸羽市長<停止ボタンを押す戸羽市長>

10月には解体が始まり、来年3月には「希望のかけ橋」部分を除いて撤去され、来年秋までには全て解体される予定です。 陸前高田の復興の新たな一歩として、引き続き復興支援に取り組んで参ります。

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