街に、ルネッサンス UR都市機構

宮城・福島震災復興支援本部から(2018年04月)

2018/4/18

女川町で災害公営住宅整備事業 完了式典が行われました

4月18日(水)、女川町において、今年3月末に災害公営住宅整備事業による全859戸の住宅が完成したことから式典が開催され、URと女川町復興公営住宅建設推進協議会は町から感謝状を贈呈されました。

<須田善明女川町長から感謝状を贈呈されるUR中島正弘理事長>
<女川町長から感謝状を贈呈される一般社団法人女川町復興公営住宅建設推進協議会の方々>

URは被災された市町の先駆けとなる平成24年3月に町と「復興まちづくり推進パートナーシップ協定」を締結、同年5月には、「災害公営住宅整備に関する基本協定」を締結し被災された方々の一日も早い生活再建を目指し、町全体のまちづくりに関与しながら、災害公営住宅の整備を行いました。

<平成24年3月 女川町とのパートナーシップ協定調印式 左:須田善明女川町長 右:UR小川忠男理事長(当時)>

平成26年3月に「運動公園住宅」200戸を皮切りに、平成30年1月末までに、鉄筋コンクリート造の集合住宅、合計6地区561戸の住宅を整備しました

また、一般社団法人女川町復興公営住宅建設推進協議会により、町中心部や離半島に戸建住宅22地区298戸が整備され、平成30年3月末の「宮ケ崎地区3期」の完成により、町の全ての災害公営住宅が完成しました。

<「運動公園住宅」(平成26年竣工)>
撮影者:沖 裕之(Blue Hours)
<「大原住宅」(平成29年竣工)>

式典で須田善明町長は、町の7割以上の建物が壊滅的な被害を受け、町内に全ての被災者仮設住宅の建設ができず、災害公営住宅の建設用地の確保も難しい状況から、この日の事業完了式典を迎えたことに対し、住宅整備に携わった事業者に感謝の言葉を述べられました。

<あいさつをされる須田善明女川町長>

木村公雄町議会議長は、災害公営住宅のうち集合住宅をURが、木造戸建住宅は町内でできる仕事は町内で行うとの考えから町内の建設業者が集まり、この2団体の協力によって建設が成し遂げられたと述べられました。

<あいさつをされる木村公雄女川町議会議長>

土井亨復興副大臣は、復興まちづくりは着実に進展しているが、コミュニティの再生や心のケアなど被災された方々が復興を実感できるよう細やかな配慮が必要であるとともに、課題を一つ一つ丁寧に解決して女川町の復興・創生が成し遂げられるよう支援してゆくと述べられました。

<祝辞を述べられる土井亨復興副大臣>
<あいさつを述べるUR中島正弘理事長>
<あいさつをされる武山良治一般社団法人女川町復興公営住宅建設推進協議会代表理事>

URは引き続き、町の中心部の区画整理事業や離半島部における低地部の整備など今年度内の事業完了に向け取り組んでいきます。

<須田女川町長とUR中島理事長>

2018/4/15

浪江町棚塩産業団地の基盤整備工事に着手しました

4月15日(日)、浪江町棚塩産業団地整備事業の起工式が行われました。当事業は、開発面積48.6ha、事業完了を2020年3月に予定しています。

<鍬入れを行う関係者>

馬場浪江町長(右から5人目)、中島UR理事長(左から4人目)、吉野復興大臣(右から4人目)

<地区の現況>※地区境界や各エリアの区域界は概略です

式典で、馬場有(たもつ)浪江町長(当時)は「棚塩産業団地は復興の大きなシンボル。これらの拠点を核としたまちづくりを推し進め、必ずや浪江の復興を成し遂げたい」とあいさつされました。

<あいさつする馬場浪江町長>

中島正弘UR理事長は「浪江町のにぎわいが戻るよう、培ったノウハウと持てる能力すべてを発揮して取り組みたい」と述べました。

<あいさつする中島UR理事長>

来賓祝辞で吉野正芳復興大臣は「棚塩産業団地は福島復興の切り札。浜通りをロボット産業や新エネルギー産業の日本一の拠点とする気持ちで取り組む」とあいさつされました。

<あいさつする吉野復興大臣>

URは、浪江町と復興まちづくりの推進に向けた覚書を平成28年11月に交換し、復興まちづくりに関する技術支援を開始しました。当地区においては、平成29年5月に基本設計業務を、同年12月に整備事業を、それぞれ浪江町からURが受託し、今回の事業化に至りました。

<地区のイメージパース>

当地区は、国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」の重点的取組である、無人航空機(ドローン)滑走路、世界最大級の水素製造拠点の立地が決定しており、URの基盤整備工事と各施設の建設工事を同時に進めてまいります。

なお、水素製造拠点につきましては、今年7月に施設の建設工事が着工されており、2020年の本格稼働に向けて施設整備が進められます。

<左より、中島UR理事長、馬場浪江町長、吉野復興大臣>

URは、浪江町の復興促進に向け、全力で取り組んでまいります。

2018/4/1

南三陸町志津川地区の新井田川(にいだがわ)に架かる橋梁に橋名板を設置しました

4月1日(日)、URが南三陸町から受託し整備を行っている志津川地区において、新たに整備した3つの橋の橋名板が設置されました。

<イベントに参加した生徒・児童と佐藤仁南三陸町長との集合写真>

志津川地区の復興事業では、地区内を流れる新井田川(にいだがわ)と八幡川(はちまんがわ)に架かる5つの橋を整備しています。南三陸町では整備を行った橋梁について、町内の生徒・児童を対象として橋梁名称及び橋名板のデザイン公募を実施しました。

橋梁名の公募は既存橋梁の架け替えとなる等により町が名称を決定した2橋を除く3橋を公募対象とし、町内全7校の小中学校のご協力のもと351件の応募の中から、有識者で組織された志津川地区橋梁名称選定会議での意見を踏まえた結果、「新井田橋(にいだはし)」「未来橋(みらいはし)」「新大森橋(しんおおもりはし)」と決定しました。名称決定後、復興事業で整備した5橋について、県立志津川高校の生徒に橋名板デザイン公募を実施し、個性豊かなデザインを施していただきました。

<公募によって決定した橋梁の位置図>
<仕上がった橋名板>

橋名板設置イベントは、平成29年7月に地区内に開業したウジエスーパー南三陸町店のご協力のもと店舗の飲食スペースを利用し、名称を応募した小中学生と橋名板のデザインを行った高校生一人ひとりに対し佐藤仁南三陸町長より感謝状が、またUR南木南三陸復興支援事務所長より記念品が授与されました。

<感謝状授与式での様子>

その後、公募により決定した3橋に分かれて生徒・児童自らの手で橋名板を設置し、橋に命を吹き込みました。自らの手でつくりあげた橋名板が設置され、皆うれしそうな表情を浮かべていました。

<デザインを担当した志津川高校の生徒と、設置状況を後ろから見守る南三陸町長>

今回のイベントを通じて町の次代を担う子供たちにまちづくりに参加してもらうことで、自分たちの住んでいるまちの“復興”を肌で感じてもらうことができたのではないかと思います。

この橋名板が設置された「新井田橋」「未来橋」「新大森橋」は平成30年4月26日に道路供用が開始され、高台に整備された住宅団地と商業施設や業務施設が立地するエリアとのアクセス性が向上し、新たな道路開通を望んでいた住民の方々がさっそく利用されていました。また、低地部から高台への避難道路として志津川地区における防災性が更に向上しました。

<供用が開始された橋と橋名板>

志津川地区では平成28年度に高台住宅用地の整備が完了し、低地部では商業施設や業務施設の再建が進み、また今回の道路供用開始など、復興に向けて着実に前進しています。

URは引き続き南三陸町の復興事業に全力で取り組んでまいります。

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